多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

親力 ⑨

Posted By on 2022年2月15日

※ 子どもの悪い面を丸ごと受け止める
 子どもの悪い面って、気になりますよね。前にも言いましたが、人は、できているところではなくて、欠けているところに目が向きがちなものです。
 さらに、自分の悪いところに似ていると感じたら、それは嫌なものです。自分がその性格のために苦労したことや嫌な目に合った経験を思い出してしまいます。だから、我が子にはそういう面を直してほしいと思うのは当たり前の感情ですね。
 さらに、自分の連れ合いの悪い面に似ているとなると、つい、
「嫌なところはお父さんそっくり。」
等と思ってしまって、嫌悪感さえ持ってしまいます。
 ところで、悪い面ってどういうところでしょうか?それは、その子の持つ個性なのです。個性は直すものではありません。活かすという発想が必要なのです。
子どもの個性は、僕は可能性だと考えています。そっちにどんどん伸びていく可能性なんです。個性というものを少し、あげてみましょう。
まず、マイナス面から。自分のお子さんが当てはまりますか。
① 細かいことにこだわりすぎる。しつこい。
② 何にでも口をはさむ。出しゃばり。
③ 無神経で鈍感、いいかげん
④ わがまま。自分勝手
⑤ ケチ。吝嗇家
⑥ おそい。ばかていねい。
⑦ 神経質。細かい。
どうでしたか。
僕は、④と⑦かなと思います。
では、これをプラス面から光を当てましょう。
① 「細かいことにこだわりすぎる。しつこい。」は、粘り強い。研究熱心とも言えます。
② 「何にでも口をはさむ。出しゃばり。」は、好奇心旺盛、探究心が強いことでしょう。
③ 「無神経で鈍感、いいかげん」というのは、気にしない性格で、おおらかだとも言えます。
④ 「わがまま。自分勝手」というのは、見方を変えれば、自己実現力が強くて自己主張ができるということにもなります。
⑤ 「ケチ。吝嗇家」は、倹約家や堅実さにもつながります。
⑥ 「おそい。ばかていねい。」な子どもは、じっくりタイプでしょう。
⑦ 「神経質で細かいことばかり気にする」性格は、繊細で心配りができる性格だともいえるのではありませんか?

ほら、違う方に変わるでしょう。
子どもはいろんな個性を持っています。まったく同じ個性の人間は、一卵性の双子以外は、この世に存在しません。
その個性のプラス面に光をあててあげてください。そうすれば、その子が本来、延びるべき方向へ延びていくことでしょう。

親力 ⑧

Posted By on 2022年2月14日

③ 包容力、寛容力
 子どもたちと対等であることは大事なことではありますが、親は、大人なのです。子どもは子どもで、絶対的に経験値が少ないのですから、同じ土俵で戦うというのは、どうかと思います。
 子どもたちに対する包容力、寛容力というものが必要です。これがないと、子どもと大したことでもないのに本気でやりあってしまいます。

※ 子どもの失敗、ミスを許せる
 子どもたちは失敗やミスを繰り返します。何度も繰り返すことがあります。
「何回言ったら分かるの!」
なんて言っていませんか?
 その言葉を言った時点で、アウトです。
 何回も言わないといけないということは、一回で子どもに届いていない可能性が大だということですよね。
 失敗をしたときに、子どもは、
「ああ、やっちゃったあ。」
という思いを持っていることが多いのです。そんなときに、
「何をやっていたの!」
と責める言葉は必要ありません。
 失敗したつらさや悲しみを受け止めてあげることの方が大事です。できれば、
「失敗は成功へのスタートだよ。」
と、前を向けるような言葉掛けをしてあげると良いでしょう。
 なんにも言ってほしくないときもあります。そんな気配を感じたら、そっとしておいてあげることです。
いずれにしても、失敗の後始末をするようにもっていってあげましょう、できれば自分の力で。

失敗しようと思って失敗する子どもはいません。

例えば、食事中にうっかりコップを倒してこぼしてしまったとき、それが以前にもあったことだったら、つい子どもを責める言葉を口にしてしまうものですよね。
倒してしまった子どもは、もうそのことだけで、つらく嫌なものです。親に叱られるんじゃないかと思う子どももいるでしょうね。
傷口に塩を塗る必要なんてありません。子どもの心を救ってあげる言葉掛けをしてあげましょう。
「大丈夫?けがはなかった?じゃあ、ふきんとってきて。」
と言って、一緒に後始末してあげれば、子どもの心は救われるでしょうね。

親力 ⑦

Posted By on 2022年2月13日

※ 子どもの表情を読み取る。
 今はマスクで子どもの表情も読み取りにくくなっています。ですから、おうちの中で一緒に暮らす親こそが、子どもの表情を読み取っていかないといけないのです。
 メンタリストのように、微妙な目の動きや口角の表現にまで目を止めるなどということは、普通の人にはできません。では、どうすればいいのでしょうか?
 ポイントは毎日見る、定点観測をするということでしょう、

 まず、毎日見るということから。
昔、酒鬼薔薇事件(神戸児童殺傷事件)というものがありました。
僕の友達の娘も犠牲になった痛ましい事件でした。
その後、少年Aと同い年の子どもたちの事件(西鉄バスジャック事件、豊川市主婦殺害事件等々)が相次ぎました。
 当時うちの娘も同い年でしたので、同級生の保護者から相談を受けることがありました。
特に父親が不安になりました。
「うちの子どもを見ていても、子どものことがよく分からないのです。」
という悩みでした。
 当たり前です。
ずっとよく観察することをしないでいたお父さんが、中二や高校生になってから、改めてよく見ようとしても、わかるはずがありません。
長い時間、毎日、それとなく表情を観察し続けてきた人だけが、子どもたちの変化に気付くことができるのですから。
 子どものことを毎日、よく観察しましょう。黙ってみているだけでいいのです。いろいろなことが分かってきますよ。

 次に、定点観測です。
 子どもが幼稚園、保育所、学校から帰ってきたときの表情を、いつもよく観察する習慣をつけましょう。
「ただいま」
という子どもに忙しいからと見向きもせずに、
「手を洗っておいで」
とだけしか言わないようなことを続けていませんか?
 子どもが返ってきた瞬間の表情は、外で子どもが何を体験してきて、どういう感情、気分で帰ってきたのかが、一番よく分かる瞬間です。
 
ケンカして帰ってきたときは、憮然とした表情をしているかも知れません。
いやなことがあったときは、落ち込んだ表情かも知れません。
何かいいことがあったときは、明るい表情をしていることでしょうね。
 できれば、そういう表情をくみ取って、ハグしたり話を聞いてやったりすることも必要でしょう。
ここを逃さないようにしましょう。

親力⑥

Posted By on 2022年2月12日

※ プラスの言動を見つけられる。
 子どもを観察する時に、どういう視座から子どもを見ているのかということが大切です。
 子どものネガティブな言動に目を向けていくと、たくさん見つかります。良いところを探すよりも、欠点を見つける方が簡単なのです。人は、どうしても欠けたところに目が向くのですね。できているところには、意識しないと目が向かないのです。
 例えば、三年生ぐらいからおうちの方が先生によく言う言葉があります。
「うちの子、最近、人の悪口ばっかり言うようになりました。」
というような言葉です。
 確かに、これまであまり他人の悪口を言わなかった子どもが、悪口を口にするようになったら、保護者は不安でしょうね。でも、「ばっかり・・・」はないでしょう。子どもは人の悪口を一日中話しているわけではないはずです。おそらく、悪口は話していることのごく一部なのに、それが「ばっかり」と感じてしまうのです。
 よく聞いていたら、そうではないことをたくさん話しているはずなのですよね。

 子どもの良いところを見るには、まず、できて当たり前だという観念を捨て去ることです。
「ある年齢に達していたら、このぐらいのことはできて当たり前だ。」
というようなことを、我が子にあてはめないことです。
 人によってできるできないは違います。同じことができるようになるためには、時間のかかる子どももいます。他者よりはずっと時間がかかっても、その子ができるようになるまでじっと待ってあげるのです。そして、できるようになったら、
「良かったねえ。」
と、一緒になって喜ぶことで、認めていくことができます。

 いつも、
「この子はどうしてこういう行動をとるのだろうか?」
という目で、子どもの言動を見つめ直しましょう。
 子どもの言動には、全て意味があります。
 一年生の時、夏休みにトラックに足を引かれて重傷を負った子どもがいました。二学期に投稿してきましたが、しばらくはいつも足を引きずっていて、もちろん運動はできませんでした。
 ある時、バス遠足へ行って、駐車場と現地との間に距離があって、帰りのバスに乗り込むまでに、少し距離を歩かないといけないということがありました。
 当然、足を引きずっている子どもは歩みが遅くて、みんなの後ろから少しずつ離れてしまいました。
 ところが、ふと見ると、一人の子どもがみんなの列から勝手に離れてゆっくりゆっくり歩き始めました。そして、最後尾の離れたところを歩いている子どものそばまで何も言わずに下がってきたのです。本来は、列を乱して下がってきたら注意するところなのですが、黙ってみていました。
 彼は一言も言うことはなかったのですが、その足を引きずる子どもと一緒にバスまで歩いてきたのです。
 この子は、友達と遊んでいる時に乱暴な言動が目立ち、みんなから非難を浴びることの多かった子どもです。
 バスに全員が乗り込んでから、僕はマイクを持って、
「みんな、静かに聴きなさい。」
と言いました。先生に何か叱られるのかと思った子どもたちは、神妙な顔をして、黙っていました。
 そこで僕は、足を引きずりながら歩いている友達に寄り添っていた子どもの話をしたのです。子どもたちは大声で
「〇〇、いいぞお!」
と声を上げ、拍手が沸き起こりました。

 従わなければならないルールというものはあります。でも、そのルールを守らなかった子どもの言動の裏にある思いを汲んで見直せば、子どもの良い姿が見えてくることがあるのです。

親力 ⑤

Posted By on 2022年2月11日

② 観察力
 子どもを観察して、子どもをよく知るということが、親力として必要です。ある程度一緒に生活していると、どうしても、
「うちの子は、こういう子どもだ。」
という固定観念が生まれてきます。
 しかし、子どもというものは、日々成長するものです。ただ、その成長のベクトルがプラス方向にもマイナス方向にも、どちらにでも向くものなのです。
 先入観を排して、自分の子どもをよく観察して、理解しましょう。
 観察には観点が必要です。「こんなところを見るといいんだよ」「こういうところに目を向けて見ると、子どものことが分かりやすくなるよ。」というような観点を増やすことです。

※ 子どもの身体的な変化を早期に見つけられる。
 ある時、四年生の女の子が、目をしばたたかせていることが多いことに気付きました。
「チック症状かな?」
と思ってよく見ていると、黒板の文字を見るときによくやっていることが分かりました。
「あなた、黒板の文字が見えにくくなっているんじゃないの?」
と聞くと、うなずきました。
 早速おうちの方に連絡したら、お母さんも分かっていなかったようで、あわてて眼科に行って、次の日に眼鏡をつけて出てきました。
 子どもたちの身体的な変化を感じ取って対応するというのは、子どもがのびやかに育つうえで大切な事だと思います。

 思春期とよく言いますが、思春期には体形の変化が起こってきます。身体の中でもごもごと何かがおこっているという状態ですから、子どもたちの心が不安定になります。
 男の子が顎やほっぺたを気にして触る姿が見られたら、おそらくはひげが生え始める前にそのあたりが分厚くなることの現れです。
 女の子が何かの動作の時に、ちょっと腕を体の横で縮めるような動作をしたら、胸が大きくなり始めたことの証かも知れません。
 三年生から五年生にかけて、女の子の身長が急に伸びたときは、生理の起こる可能性が高くなります。
 このように、思春期に入るときには、体の変化が伴っていることを認識していれば、あわてなくてすむでしょうね。

親力 ④

Posted By on 2022年2月9日

■ 厳格さということ
 厳格さというと、昔の「頑固おやじ」を思い浮かべるかもしれません。「巨人の星」というマンガがありましたが、そこに登場する星一徹という父親は、本物の頑固おやじで、ちゃぶ台をひっくり返すという昔はホントによくあった姿を描いていました。
 今は、DⅤでもない限り、そういう親父は減りましたね。逆にお父さんが優しくなって、「隣のトトロ」に出てくるお父さんのような、優しい父親が増えました。
 優しい父親はいいんですけど、優しすぎる父親が問題なのです。
 優しすぎる父親は、子どもにとって癒しにはなるけれども、厳格な厳しさを感じる存在ではありません。
 暴力的であったり、威圧的であったりする必要は全くありませんが、「厳しさ」というものは、やはり教育には必要なものだと思うのです。
 子どもは悪いことをします。問題行動を起こすものなのです。
「うちの子は全く問題なく育ってきました。」
と自慢げに話すお母さんの言葉を聞いていると、
「えっ? それって逆に心配なんですけど・・・。」
と言いたくなってしまいます。
 子どもは問題行動を起こして、そこを厳しく指摘されて、それを受けて考えて、育っていくものなのです。
 問題行動はきちんと指摘して考えさせなければなりません。ダメなものはダメだと言うこと。それが「厳しさ」なのです。

 すべてを受け入れて、
「いいんだよ。」
と認めてしまうって、教育放棄になりませんか?
 話を聞いてあげることはとても大切な事ではありますが、全てを認めてはいけません。子どもは未熟だし、社会に対するメタ認知が圧倒的に弱いのですからね。
 そして、ダメだと言ったら、絶対にダメという強い意志を示すことが大切です。その代わり、ダメだという自分自身に責任を負わないといけませんよ。

 別に怖い顔をして「ダメだ」という必要はありません。笑顔でもいいんですよ。にこにこ笑っていても、うちの親は絶対に譲らないよなあと子どもたちに思わせることはできます。

親力 ③

Posted By on 2022年2月8日

 娘が中学二年生の時です。僕の部屋にやってきて、パソコンでいろいろと仕事をしている僕の後ろの方で、本棚の本を取り出してぱらぱらめくったり、ぼんやりしていたりしていました。
「知子、何かあったのか?」
と聞きました。
 すると、娘は、今の自分の悩みをとつとつと語り始めたのです。
「私の学校で、うちのクラスじゃないんだけれど、いじめにあっていると思える子どもがいるの。私はなんとかしてあげたいと思うけれども、クラスは違うし、担任の先生は信用できないし、自分には勇気がないんだなあと思ったら、落ち込んでしまう。」
と言うのです。そこで僕は
「なあ、そのことに対して責任のある大人は何をしているんだろうね。まず、そのいじめられている子どものお父さんとお母さんは、何もしてないんでしょ。それから、担任の先生は何をしているんだ。少なくとも、何か声掛けをするべきじゃないのかな?そして、いじめている子どもの親は何をしているんだろう。知らん顔しているのかな?
 子どもに対して責任のある大人たちが何もしていないのに、離れたところにいるお前にできることはほとんどないんだよ。
 でも、お前がそこで悩んでいることは無駄なことではない。その思いをしっかりと持って大人になりなさい。そして、大人になって、自分の目の届く範囲で起こったことについては、責任持って取り組んでいけばいいんだよ。」
と、話しました。
 娘はしばらく僕の背中に背中をくっつけて考えていましたが、
「分かった。」
と言って自分の部屋に戻りました。
 ふだんから、だらしない恰好を見せつけていたら、このような相談事は掛けてこなかったろうなあと思うのです。

親力 ②

Posted By on 2022年2月7日

■ 親に権威は必要
 親が権威を持っていないと、子どもたちに舐められます。馬鹿にされてしまいます。子どもからの反発はあっていいのです。しかし、馬鹿にされてはいけません。
 怒鳴りつけたり叩いたりといったものは、権威にはつながりません。優しく穏やかでも「権威」というものは存在できるのです。
 それは、親が次のようなことを意識することなのです。
ア けじめをつける。
 親がけじめをつけることが重要です。子どもにけじめをつけさせる前に、親自身がけじめをつけることができているかどうかを考えましょう。子どもたちは親のすることをじいっと見ています。自分にけじめをつけることのできない親から
「けじめをつけなさい。」
と言われても、聞けません。説得力がありません。
 イ だらしない姿を見せない
  僕は、おふろに入る時に、娘の前で脱衣することはしませんでした。(小学校に入ってからですよ)
パンツ一枚でリビングをうろつくようなことも一切したことがありません。家庭というのはくつろげる場所ですから、ある程度までは油断してだらだらとリラックスした姿を見せるのは仕方ないと思います。でも、だらだらしているのと、だらしない姿を見せるというのとでは、違いますよね。
 子どもは成長するにつれて、親のだらしなさが気になります。だらしない親に何か深刻な相談をしようと思いますか?
 ウ 働く姿を見せる
  自分の職場に子どもを連れて行ったことはありますか?子どもたちは親の働く姿を見たことはないのかも知れません。そうすると、そこに尊敬や感謝なんて生まれませんよね。
 僕は教師という仕事だったから、家で仕事関係の本(教育書)を読んだり、プリントを作ったり教材研究したりしていました。娘はそういう姿を見ていただろうと思います。ですから、つまらないミスをおかしたり、わがまま言ったりするのをなじることはあっても、僕の仕事への姿勢は認めてくれていただろうと思うのです。
 もしもできることなら、職場に子どもを連れて行って、親の働く姿を見せましょう。パートでもいいのです。一心に働く姿を見て、何も感じない人間などいませんから。

 こうした姿を意識して見せることで、親の権威は保たれるのではないかなあと思うのです。。

親力

Posted By on 2022年2月6日

親力というものについて、根本的に考えてみました。

① 権威と厳格さ
昔(戦前と戦後40年ぐらいまで)は親の権威というものは、絶対的であったと思われるのです。
家父長制度が浸透して、子どもは親にはさからえなかったのです。
もちろん、その時代にも親に逆らう子どもはいましたが、圧倒的にマイナーでした。
懲戒どころか、折檻まで認められていました。
子どもを殴ることになんの抵抗もなく、それのできない親は、
「甘い!」
と、糾弾されるほどでした。

 僕が教師になった1980年ごろは、子どもは先生に叱られたことを親にはほとんど言わないようにしていました。
それは、言ったら、
「あなたはどんな悪いことをしたのか」
と、よけいに叱られたからです。
教師の権威も、親の権威に支えられていたのです。

今は、親の権威というものは、存在していません。
子どもに手を上げると、DVだとされます。
言葉の暴力も否定されています。
何よりも親自身が弱くなって、子どもに媚びる親も出てきました。
大事に大事に甘やかして、子どもに引っ張られてしまっている親もいます。

厳格さというものが家庭には見られなくなってきて、
優しさにあふれた家庭が増えてきています。
子どもの話をよく聞いて、否定しなくなってきました。
それはそれで良いことだと思うのですが、
どうもそこに、親としての厳しさがないように思えるのです。

では、今の時代において、「威厳さと厳しさ」とを、どう考えれば良いのでしょうか?

私と震災 その③

Posted By on 2022年1月18日

神戸電鉄ー北神急行が新神戸まで通じた4日目。
ようやく電車で出発。
新神戸駅から家内と二人、甲南小学校へ向かう。
新神戸付近はそうでもなかったが、
六甲道へ向かって下っていくと、焼け焦げと倒壊が続く。
焦げる臭いとサイレンの音に
しだいに気持ちがふさがっていった。
学生時代を過ごした六甲の街並みも駅も、めちゃくちゃだった。
悔しくて泣きたくなるような思い。
大好きな街は、もう亡くなってしまった。
ぽつぽつと歩いた。
住吉に住む友人のマンションがつぶれて
本山南中へ避難しているというので、物資を背負って行く。
途中で道を聞く時にも感じたのだが
どの人もみな親切でていねいに探し方を教えてくれる。
お互いに助け合おうという気持ちが
この悲惨な街のなかに満ちている。
でも、避難所は子どもの暮らすような所ではない。
友人に
「子どもをこんな所に置いていたらいかん。
あずかるから、遠慮せずにこさせろ。」
とだけ言い、家内を残して甲南小へー。
(このとき預かった子どもが24年後、帯広で教師をしていて、僕に会いに来てくれた。)
くさい臭いと雑然とした空気の甲南小学校。
屋根瓦が割れ、後者のつなぎ目には亀裂が入っていた。
しかし、昨年建て替えたばかりだったので、
周囲の学校のように倒壊はしていなかった。
ボランティアで、遠く大阪から歩いてやってきている若者たちと
近くのボランティアとで、けっこう仕事をしてくれていた。
(被災者は1500人)
ここにいると、しんどいけれども、
何かすることがたくさんあるので、心は落ち着く。
ほんのちょっとした心遣いが随所で見られて
「大変だなあ」という思いよりも、
「人間って、いいもんだなあ」と、思わされるから不思議だ。
夜中によく人が訪ねてくる。
三重から自転車で来られたという方も、肉親を捜しておられた。