私と震災 その③

Posted By on 2022年1月18日

神戸電鉄ー北神急行が新神戸まで通じた4日目。
ようやく電車で出発。
新神戸駅から家内と二人、甲南小学校へ向かう。
新神戸付近はそうでもなかったが、
六甲道へ向かって下っていくと、焼け焦げと倒壊が続く。
焦げる臭いとサイレンの音に
しだいに気持ちがふさがっていった。
学生時代を過ごした六甲の街並みも駅も、めちゃくちゃだった。
悔しくて泣きたくなるような思い。
大好きな街は、もう亡くなってしまった。
ぽつぽつと歩いた。
住吉に住む友人のマンションがつぶれて
本山南中へ避難しているというので、物資を背負って行く。
途中で道を聞く時にも感じたのだが
どの人もみな親切でていねいに探し方を教えてくれる。
お互いに助け合おうという気持ちが
この悲惨な街のなかに満ちている。
でも、避難所は子どもの暮らすような所ではない。
友人に
「子どもをこんな所に置いていたらいかん。
あずかるから、遠慮せずにこさせろ。」
とだけ言い、家内を残して甲南小へー。
(このとき預かった子どもが24年後、帯広で教師をしていて、僕に会いに来てくれた。)
くさい臭いと雑然とした空気の甲南小学校。
屋根瓦が割れ、後者のつなぎ目には亀裂が入っていた。
しかし、昨年建て替えたばかりだったので、
周囲の学校のように倒壊はしていなかった。
ボランティアで、遠く大阪から歩いてやってきている若者たちと
近くのボランティアとで、けっこう仕事をしてくれていた。
(被災者は1500人)
ここにいると、しんどいけれども、
何かすることがたくさんあるので、心は落ち着く。
ほんのちょっとした心遣いが随所で見られて
「大変だなあ」という思いよりも、
「人間って、いいもんだなあ」と、思わされるから不思議だ。
夜中によく人が訪ねてくる。
三重から自転車で来られたという方も、肉親を捜しておられた。

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