Posted By taga on 2022年2月27日
⑧ 保護力
子どもを護るのは、親の勤めです。子どもを護るために全力を尽くすのは、当たり前のことでもあります。
今、DV(児童虐待)で酷い目に合っている子どもたちがいます。心が痛みます。子どもにとって一番信頼して甘えるべき対象の親から虐待されるなんて、考えるだけでおぞましいものです。
DVで親から離された子どもたちの暮らす施設で二度ほど講演したことがあります。施設長の話によると、そこに暮らす子どもたちはブラックホールみたいなもので、若手の職員の多くは子どもとの距離を近づけすぎてブラックホールに引き込まれてしまって落ち込み、心が病んで職場を去ってしまうそうです。
子どもたちの闇は深いのです。保護されるべき立場の子どもが、その親から虐待されるということは、本当に厳しいことなのです。
これらは、例外です。
多くの親は、子どもを大切に護ろうとするのですが、そのやり方は様々です。
幼い時と思春期になった時と同じ護り方をしていたら、具合悪いでしょう。幼い頃の子どもは、何もかもが不完全で未熟です。大人が保護しなければ、たちどころに生命の危機まで起こりかねません。
一方、思春期にもなってきたら、子どもの体は大人に近づいてきます。心と体はまだまだアンバランスですが、親から離れようとし始めます。それが自然の流れです。そのときに、幼い頃のような保護の仕方をしていたら、どうなるでしょうか。反発してしまうならば、まだいいのですが、その保護の下に甘んじてしまうと、大人になり切れない人間ができてしまうことでしょう。
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Posted By taga on 2022年2月25日
※ 子どものわがままに対して、同じ土俵に乗らない
先ほどの話とも関連しますが、よく街を歩いていたり、電車に乗ったりしていると見かける親子の姿があります。
親が子供を叱っているのですが、感情的になってしまって、大声でわけのわからないことを言っています。子どもはとよく見ると、親に反発して反抗的な目で見たり、言い返したりしています。
これって、親が子どもに愛情を持って接している態度でしょうか?
とてもそうは思えません。
子どもと同じ土俵に乗って、子どもとレベルの低い言い合いをしてしまっているだけです。
でも、そういう瞬間ってあるんですよね。自分でもだんだんとエスカレートしてきているのは分かっているんだけれども、自分のアンガーマネジメントができないときもあるし、振り上げた斧の落としどころがわからなくなっているときもあるでしょう。
「同じ土俵に乗らない。それはみっともないことである。格好悪いことである。」
と、自覚しましょう。そして、大人としての在り方を考えましょう。
子どもは問題行動をとるときがあるし、わがままなことを言って親を困らせることもあります。そんなものを全て受け入れて肯定なんてできるはずがありません。だからこそ、大人としての言い方があるべきだし、対処の仕方があるのです。
そして、その姿を子どもは見ています。親は、子どもの鑑なのです。そこから学ぶこともたくさんあるのです。
子どもは言う通りには育ちません。後姿を見て育つのです。
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Posted By taga on 2022年2月24日
※ 子どもの反抗的な態度にも、一時、がまんできる
ドアをバタン!と閉める。
「うるさいんじゃ!」と、暴言を吐く。
「放っておいてくれ。」と怒鳴る。
「おはよう」の返事もしない。
見ているだけでイライラしてくる子どもの態度です。
これは思春期ではよく起こる状態で、子ども自身もそれが良くないことは分かっているのだけれども、自分でもどうにもできないこともあるのです。
こんなときに、長たらしい説教などは聞こうという気も起らないし、手紙も逆効果です。
僕が高校一年生の時でした。僕の反抗的な態度を見かねたのでしょう。ある時、僕の机の上に母からの手紙が置いてありました。分厚い手紙でした。おそらくその中には
「最近のあなたの様子を見ていると・・・」から始まって、人間としての態度の在り方とか、そういうことがびっしりと書いてあったことでしょう。母からの訓示であったろうと思われるのです。
なぜ推定形で書いてあるのかと言うと、僕はその手紙を読まなかったからです。なんと、そのままゴミ箱に叩き込んでしまいました。
こんなものは、読めません。大人になった今でも、
「あそこに何が書いてあったのか知りたい。」
という気持ちは全くありませんし、ごみ箱に叩き込んだこと自体を決して後悔してはいません。受け取れないものは受け取れないのです。
思春期とはそういう時期です。
子どもが非行に走っていると思うのならば、自分の命をかけてでも止めればいいのです。それだけの覚悟が必要なときもあります。しかし、そうではないのならば、子ども自身の判断にゆだねていくしかないのです。思春期に横向いていた子どもが大人になってもずっと横を向いているようなことは、ほとんどありません。
ここは、がまんのしどころなのです。
淡々と生活のリズムを守って、当たり前のことを続けましょう。いちいち子どものすることに苛立っていても、仕方ありません。そういう時期なのですから。
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Posted By taga on 2022年2月23日
ほかにも、がまんしなければならないことがあります。
子どもが外で失敗したり挫折したりしたときのことです。
挫折は、この世で準備できないことの一つです。挫折することを見越して手を打っておく等ということは、リスクマネージメントですよね。リスクマネージメントは、リスクを計算して前もって手をうっておくわけですから、挫折というものは起こりません。
一生懸命頑張って、それでもダメだったり、予期せぬアクシデントに見舞われたりしたときに「挫折」と言うのです。
いじめなどの精神的に追い込まれるものは、黙って見ている時間はありません。今どきの子どもたちは死に対するハードルが低いので、命に関わる事態になりかねませんから、早急に口を出して、一緒に解決策を考えていく必要があります。
しかし、それ以外の挫折は、そっと黙ってみている時間が必要なのです。人は挫折から多くのことを学びます。挫折の全くない人間は脆かったり、他者の心情を思いやれなかったりする人間になりかねないのです。
さすがに、挫折を楽しむことはできないけれども、挫折を乗り越えることはできます。そのためには、少し時間が必要です。それを黙ってみていて、癒しが必要だと思ったら、寄り添ってあげればいいのです。
僕はたくさん挫折を経験してきました。二年間も浪人して、浪人の苦しさも味わいました。高校の友人のところへ行ったときに
「俺の人生は今、灰色や。」
と、自嘲気味に語ったら、その友人は
「多賀、灰色も人生なんやで。バラ色だけが人生やない。」
と言いました。今でも心に刻んでいる言葉です。
人生は灰色もあるから、バラ色が輝くのです。人生を彩るさまざまな色が、自分の人生を豊かにしてくれるのです。
採用試験も二回落ちました。大手塾の二つの面接も落ちて、大学院の試験も落ちました。三月の終わりの時点で、僕はどこも行くところがなかったのです。それが、三月三十一日に大学から電話がかかってきて、
「付属小学校へ行かないか?」
と言う話でした。そこから、僕の教師人生がスタートしたのです。
いろんなことに挫折して悲哀を味わったからこそ、僕は若手の悩みにもよりそうことができるのだと思っています。
人生に無駄はありません。挫折という経験も、全て自分の力に変えられるのです。
目の前で挫折している我が子を見ると、すぐに口を出したくなりますが、その子の人生を豊かにしている時間だと考えて、がまんして黙って見ていることは、大切な事だと思分けませんか?
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Posted By taga on 2022年2月22日
⑦ 忍耐力
子育てには耐えなければならないときがいくつもあります。それができなくて、子どもを叱責しすぎたり、時には体罰までおこなってしまったりして、子どもとの関係を壊してしまいます。
※ 子どもの状態に口を出さずに待てる
一日は24時間しかありません。多くの人は、時間に追われています。親がよく口にするのは
「いつまでもだらだらして宿題を始めようとしません。」
というような言葉です。
もう寝なくてはならない時間を過ぎている。寝不足になったら明日が心配だ。何よりも今までだらだらしていたのが気に入らない・・・。様々なことが頭に浮かび上がってきます。
その結果
「もう、いいかげんにしなさい。今、何時だと思っているの!」
という叱責になってしまうのです。
これはもともと、自分の生活を自分で律していくという習慣を身に着けられなかったことによるものが大きいのです。つまり、そういうふうにだらだらする子どもに育ててしまった自分の責任でもあるのです。
だいたい、宿題って、なんのためにやるのでしょうか?
やらされる宿題なんて、ほとんどその子の力にはなり得ませんよ。叱られて泣きながらやった宿題で実力がつくなんてことがあるとは思えません。
宿題は学校の先生との間で行われているものです。そもそも親が口出しすることではありません。していかなくて先生に叱られたら、それでいいんです。(となみに、僕は宿題をしてこないことを叱るのは教師していた後半、ほとんどなくなっていました)
時間が来たら寝ることを徹底すればいいんです。そこまでに宿題をしてようがしていまいが、親の知ったことではないと割り切ってはどうでしょうか。
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Posted By taga on 2022年2月20日
※ 子どもがいなくなってもいいような自分の世界を持っている
親が子離れできないことの要因の一つが、子どものために人生を捧げてしまうような献身の姿勢にあります。
子どものために必死になり、自分の全てを子どものためのことにかかりきりにする。それは、一見、美しいことのように見えます。ネグレクトやDVの親から見れば、かなり素晴らしいことのように見えます。
はたして、そうなのでしょうか。
子どもへの力の注ぎ具合は、もちろん子どもの年齢にもよると思います。生まれてから三年間ぐらいは子どものためだけに生活する時間があってしかるべきでしょう。でも、そこから少しずつ自分の時間を持たなければいけないと思うのです。
自分のやりたいことをする、自分の夢をかなえるために頑張る時間を持つべきなのです。そうしないと、子どもが自立したときに自分には何も残っていないということになりかねません。
「子どもの成長を見るのが、生きがいです。」
という方もおられるでしょう。でもね、そんなの当たり前のことであって、自分の遺伝子が成長していくのを見ることは至福の喜びです。
だからといって、自分の人生を全てそのこと(子育て)だけに注ぎ込んではいけないのではないでしょうか?
仕事でも趣味でも、自分の人生を充実させていかないと、子どもが巣立った後は、残りかすになってしまいますよ
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Posted By taga on 2022年2月19日
⑥ (親の)自立力
自立力というのは、大人としては当たり前のことです。自分のことは基本的に自分でできて、生活力もあるのが大人です。
ところで、ここで言う自立とは、親が子どもから自立しているということです。
簡単に言うと、子離れができているかということです。
※ 子どもは親の所有物ではない
昔、担任した子どもで、お母さんが過保護と言っていいほど、子どもの何もかもを管理する方がいらっしゃいました。詳しくは申せませんが、友達から食べ物まで、全てを管理していました。子どもはそれにべったりと乗っかって、お母さんの言いなりでした。
心配した周りのお母さんたちが、ある時、ちょっと子どもに干渉しすぎてないかと注意をうながしました。
「あなた、子どもはいつまでもあなたの保護のもとで生きていくわけにはいかないのよ。子どもが年をとって、独身とかになったら、どうするの?」
と言うと、
「そしたら、私が一生我が子の面倒をみますよ。」
と、すましてお応えになったそうです。
この方は、子どもから自立する気持ちもないようです。
子どもは保護の必要な存在です。そして、親は子どもに愛情を注いでいきます。しかし、その愛し方も子どもの成長と共に変わっていかねばなりません。いつか子どもは親から離れて一人で飛び立っていくのですから。
いつまでも子どもの世話をやいているわけにはいきません。
そのいつか離れるときを見越して、少しずつ手を放していかねばならないのです。一生、目を離すわけにはいきませんが・・・。
幼な子は、手がかかります。愛情も手もかけて育てます。それでも、ほんのちょっとしたときに子どもが自分でやろうとしたときには、その子が失敗するまで見届けてあげるのが、子育てです。
こけても大したけがはしないだろうというところで、こけてどうするかを黙ってみていることが、子どもが自力で立ち上がる力を育成するのです。こけかけたら、ぱっとそばへ行ってこけないように手助けをするのは、教育とは言えません。
子どものことはいくつになっても気になります。当たり前です。大事な我が子なのですから。
しかし、いつも手助けをしていたら、いつまでたっても子どもは自立していきません。これは、
「何歳になったら、ここまで手を放す。」
というような数式にあてはめて考えることができません。子どもの個性や取り巻く環境によって変わります。
僕の母親は、小さい頃に腎臓を患った僕の体調をいつも心配していました。
「眼瞼が腫れたら危ないんだよ。」
と、いつも言っていました。
大人になって就職して、徹夜で仕事をしていたらやってきて
「早く寝ないと体にさわる。」
と言っていました。僕にはそれがうっとおしかったのです。しだいに母親との距離を置くようになっていきました。
今、この歳になっても元気でいられるのは、母の献身的なかかわりのおかげだと心から感謝していますが、それでも僕は母親との関係は母が亡くなるまで良くなかったのです。
子どもに自立させるのは、リスクを伴います。でも、最後に決定するのは子ども自身なのです。それを邪魔しないようにしないといけませんね。
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Posted By taga on 2022年2月18日
⑤ 信頼力
これは、子どもに信頼されるということではなく、子どもを信頼できる力のことです。
親は子どもを信じたいという方がほとんどですが、時には盲目的に信じてしまって、子どもの事実を受け入れられない方もおられます。
「うちの子に限って・・・」
という言葉が口をついて出てくる方です。
こういう方は、学校の先生や周りの人たちにとっては、困った方なのですが、最終的には、子どもがゆがんだ形で成長していくので、大きなマイナスとなることでしょう。
一方、子どもというものは、ときどき、親も信じられなくなるような言動をとることがあるものです。そんなとき、どうすれば子どもを信じることができるのでしょうか?
※ 子どもの将来を信じられる
子どもが問題行動を起こしたとき、親は少なからずショックを受けます。これまで信じていたことが、がらがらと崩れ落ちていくような気持ちになります。
また、何度も注意や叱責を繰り返しているのに、全く改善されないようなときには、どうしていいか困ってしまいます。
あるとき、お母さんが懇談で泣きながら
「うちの子、どうしたらいいんでしょうか。自分の非は全く認めようとはしないし、人にはくってかかるし、大人には逆らうし、私の言うことなんて全然聞いてくれません。」
とおっしゃいました。
この子は下の学年の子どもからやっていたことを指摘されて逆切れして、下級生に食って掛かったのです。この件では、下級生のお父さんが学校に来られて僕と話をしたほどでした。僕も、正直困っていましたが、お母さんには、
「今、あの子のしていることには、認められることはないかも知れません。でもね、お母さん。あの子の将来を信じて待ちましょうよ。お母さんが見放したら、誰もあの子を信じる人がいなくなってしまいますよ。」
と言いました。
その子は立派に成長して、いいお母さんになって、友人たちにも恵まれています。
今、たとえ信じられない言動が目立っていたとしても、その子の将来を信じて、今を教育するということが、子育てには必要な時もあるのです。
※ 子どもに任せることができる
親は、子どもに任せきることが、なかなかできません。小さな事なら、我慢して見ていることはできるかもしれませんが、時間のないとき、一人では解決が難しそうなときに、
「一人でがんばってみたい。」
と言われても、手や口を出してしまうものですね。
まして、失敗すると分かっていたら、その前になんとかしてやりたいと思うのは、当然の親心です。
しかし、そこで手を出すことによって、子どもは「失敗する」という大切な経験をしないままになってしまうのです。失敗は決して無駄にはなりません。
失敗すると分かっていても、子どもに任せてやり切らせるという心を持ってほしいと思います。
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親力 ⑫ はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2022年2月17日
※ ギャグ力
これは関西人とそうじゃない地方とでは、若干ニュアンスが違っていると思います。関西では、子どもたちもギャグを理解していて、ベタなギャグを受け止めてくれます。
あまりにもつまらないダジャレを言ったりすると
「今日は寒いなあ。」
とか、
「しょうもなー。」
とかいうように、何らかの反応を示してくれるのです。
話をしていて、
「今の話、落ちは何?」
なんて聞く子どもも出てきます。
関東ではー――。
昔、僕が私学の日小連国語部の全国委員長をしていたときのことでした。東京で私学の研修会があり、開会の挨拶をした時に、僕はつまらないギャグを言ったのです。西日本では、
「また、多賀先生、あほな事言ってるわ。」
と、笑い流してもらえたことでしょう。
ところが、東京や関東のみなさんが多い大会だったので、僕がギャグを言ったとき、ほとんどのみなさんが「なるほど」というように真面目な顔をして、うなずかれたのです。
あとで西日本の連中に
「多賀先生、あの挨拶すべってたで。」
と言われましたが、関西と関東とでは、それほど違いがあります。関東では、全国委員長のような立場の人間は、くだらないギャグは飛ばさないものなのですね。
それから、自虐ネタもだめなようです。関西では自虐ネタは受けます。というか、偉そうなことを上から目線で語るだけでは、多くのみなさんが聞いてくださらないのです。だから、関西での公演では自虐ネタを時々入れます。関東で講演するときは、若干上から目線で話す方が、話を聞いて汲田セサルような感じがします。
僕はギャグの基本は、自分を笑うことだと思っています。他者をあざけって笑うのは、僕には体質的に合いません。
いずれにしても、ユーモア力は、身に着けるのが難しいものです。ユーモアのある人ってうらやましいですよね。
落語やお笑いを視聴することです。そうすれば、少しはユーモアの感覚ができてくるでしょう。
そして、ユーモアあふれる絵本を子どもたちに読んであげるのも一つの手だと思います。
「ふるやのもり」(瀬田貞二、田島征三 福音館書店)
「世界一ばかなわたしのネコ」(ジル・バシュレ、伊勢英子 平凡社)
「ありんこぐんだん」(武田美穂 ポプラ社)
「ぴっけやまのおならくらべ」(かさいまり、村上康成 ひさかたチャイルド)
「なんでやねん」(中川ひろたか、あおきひろえ 世界文化社)
等々、いくらでもありますよ。
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Posted By taga on 2022年2月16日
※ 冗談力
気軽に冗談が言えたり、冗談を言い合えたりするムードを作ることのできる力です。冗談も言えないような家庭は苦しくて息が詰まりそうです。
昔はそういう家庭は多かったのですが、子どもたちは外へ出るとたくさん逃げ場があって、寄り道もできたし、自然の中で遊ぶこともできました。今は、そういう機会がほとんどなくなって、子どもたちは家と学校とを真っすぐ行き来しています。放課後も塾やお稽古事、スポーツなどで時間がとられている子どももたくさんいます。
そういう状況で、家庭に冗談を言えるようなムードがなかったら、きついですよね。
※ 笑い返し力
起こった物事に対して、冗談やユーモアで切り返す力のことです。
子どもが不適切な言葉を発した時、どうされていますか?全部まともに受けて、まっすぐに返していらっしゃいますか?
もしそうなら、売り言葉に買い言葉みたいになって、子どもとの関係を悪くしてしまっていませんか?
子どもは時々大人を侮辱します。
「うるさいんじゃ!」
そういう言葉を吐いて、大人の反応を見ているのです。まあ、挑発しているようなときもあります。
「誰に向かってそんな言葉を吐いてるの!」
と言ってしまったら、負けですね。
子どもの半分は、大人に向かって発している言葉だと分かっていて出しているのです。そんなものに乗って、同じ土俵に上がってやりあうのは、愚の骨頂です。
また、残り半分の子どもは、思わず発してしまったんですよ、その言葉を。出した瞬間に
「しまった!」
と思っているんですよ。
その相手に向かって
「なんなの、その言葉は!」
と、激怒した言葉を投げつけるのは、どうかと思います。大人は子どもよりも、何十年も先輩なんですからね。
そういう暴言を吐かれたら、にこにこ笑って
「今のは、聞き間違いよねえ。」
というのはどうでしょうか。笑顔までは難しくても、
「聞かなかったことにするわ。」
ぐらいは言えるでしょう。激怒してしまわなければね。
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