大石先生と僕 4

| 2016年2月9日

阪神大震災のとき、真っ先に連絡くださって 「多賀さん、作文やで。今こそ作文や。」 と、背中を押して下さった。 だから、子どもたちに書かせ続けた。 それは間違いなかったと確信している。 一年生の口頭作文だって、 大石先生に […]

大石先生と僕 3

| 2016年2月8日

文科省から表彰されるというとき、 「多賀さん、わしの生き方は文科省に従わない生き方や。 そんな人間が文科省の表彰受けたら、あかんのとちゃうかなあ。」 とおっしゃったので、 「先生、この生き方を貫いて文科省に認めさせたんで […]

大石先生と僕 2

| 2016年2月7日

大石先生から頂いたさまざまな手書きの実践。 それらは大切に残している。 軽度だが慢性のアルコール中毒の先生なので、 字がいつもぶれている。 それが先生の個性でもあった。 正直、授業は絶対に僕の方が巧いと思っている。 でも […]

大石先生と僕

| 2016年2月6日

元京都女子大附属小学校の大石進先生が亡くなられた。 僕は不祥の弟子であるが、 一番弟子だと思ってきた。 大石先生と僕とのことを、書きたい。 それが「綴り方の弟子」である僕のするべきことだから。 冥福を祈るよりも、葬式で涙 […]

かなわない人

| 2015年5月19日

東京のセミナーで声をかけてくださった方、 「私、元成城の小林先生を存じ上げています。 この前も多賀先生の話をしていました。」 と、おっしゃったので、びっくりした。 懐かしい名前。 三年間、会っていない。 先輩であり、友人 […]

学ぶということ

| 2015年5月2日

「先行研究からは学ばないという『学び方』がある。」 そう豪語したカリスマ教師がいる。 よほど自信があるのだろう。 自らの不勉強を哲学だと言い切るのだから。 別に僕と直接関係ないから その方がどういう考えを持とうが、かまわ […]

視野狭窄

| 2014年11月6日

僕は、独学で学んできた人間だ。 国語の研究会に属していても、 そこはゆるーい研究会で、学びは個人次第で、 何かの考え方にしばられることもなかった。 好きなようにいろいろな方向で勉強してきた。 何もノルマがなくて、全て自分 […]

東井義雄先生

| 2014年8月8日

養父市の八鹿小学校で講演したとき、 東井義雄先生が最後の校長をしておられたときの 児童だった先生がいらっしゃった。   東井先生は毎朝、全部の学級を回っていらっしゃったのだそうだ。 学校が明るくなっていくんです […]

一斉授業の何がわるいねん

| 2014年6月13日

「一斉授業」という言葉の嫌いな人たちがいる。 一斉授業をしたら、まるで、 子どもたちが自ら学ぼうとしたり 生き生きと考えたり できないかのように言う。 それは、その先生にそういう一斉授業のできる技量がないだけ。 &nbs […]

僕に出来ること

| 2014年4月19日

若い先生の授業を観ると、 たくさん引っ掛かる事が出てくる。 「ここは、こうしたらいいのに。」 「今のは必要ないことだね。」   時には、出ていって介入したい気持ちにもなる。 でも、僕は、出ていかない。 僕の指導 […]