多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

親力 29 認めるということ

Posted By on 2022年3月9日

※ 認めるということ
 褒めることを無理やり探しても、見つからないということがあります。だいたい、人は、欠点を探す方が得意なのですね。子どもを見ていたら、
「ここが足りない。こんなところが嫌だ。」
ということの方がたくさん目につきます。
 自分の悪いところに似ていたら、すごく嫌だと感じますし、自分の連れ合いの悪いところとよく似ていたら、それだけで嫌になってしまうこともあります。
 褒めるところ、良いところを探すのって、けっこう難しいんですよね。
 そこで、「認める」ということをお勧めします。
 子どものしたこと、言ったことで、
「褒めるほどではない」
と感じてしまうことってありますよね。
 できて当たり前のことをしたからと言って、取り立てて褒めようとは思わないこともあるでしょう。他の子どもと比べたら、全然たいしたことではないと感じることもあるでしょう。
 その「当たり前」を一度ゼロベースに戻してみることが大切です。
 子どもなりに頑張っていたら、その頑張りに対して認めるのです。
「よく頑張ったね。」
その一言で子どもは育つのです。

親力 28 褒めることの功罪

Posted By on 2022年3月8日

※ 褒めることの功罪
 ここで、褒めることの功罪についてまとめてみましょう。
まずは、良いところから。
・子どもは褒められることによって、前向きになれます。なんでもやってみようとします。そして、その行為ややる気をさらに褒められることで、意欲が加速されます。「豚もおだてりゃ木に登る」ではないですが、実現不可能に思えたことまで、到達してしまえるかも知れません。
 褒めるという行為は、子どもたちを大きく前向きにさせるのです。
・親が子どもを褒めてばかりいるということは、我が子の良いところばかりを見ているということです。親自身にとってもそれは気分の良いことで、家庭が楽しくなります。誉め言葉が並ぶということは、家族のムードが明るく楽しくなる要素となります。
 つまり、褒められている子どもの成長のみならず、褒めている親や家族にとっても好影響を与えるということです。

 次に、悪い点について。
・褒めてばかりいると、褒められなければ「つまらない」とモチベーションを落としてしまうことになります。学校へ行っても、社会に出ても、そんなに自分のことを褒めてくれる人たちばかりではありません。むしろ、否定する人たちの方が多いかも知れません。そうすると、褒められてばかりで育った人たちは、自分を否定されたという気持ちを強く持って、生活そのものがしんどくなります。
 それがひどくなってくると、鬱になってしまうのです。
 ところが、褒められてばかりで育って、いろいろな事情から周囲の評価が得られなくなっても、高いモチベーションを維持できる人たちがいます。その人たちの多くは、ルールを守るという規範意識の根付いた人たちです。
 褒めることばかりではなく、ルールを守るという規範意識を育てる必要性があるということです。

親力 27 褒める力、認める力

Posted By on 2022年3月7日

⑨ 褒める力、認める力
 褒める力と認める力の話をしましょう。
 今、書店の教育書コーナーには、「褒めて育てる」ことをテーマにした本がずらりと並んでいます。三十年前には、平井信義さんのような考え方(『子どもを叱る前に読む本 「やる気のある子」「ひとりでできる子」の育て方』等々)は珍しいことでした。
 今は、「褒めて育てよう」賛歌であふれているように見えます。
 その一方で、
「なんでもかんでも褒めるだけではダメだ。それでは子どもは育たない。叱ることも必要だ。」
という考え方も根強くあるように思えます。
 どっちが正しいのでしょうか?
 そもそも、叱ることと褒めることとを対極と捉えて、どちらかを選択しようという発想がおかしいのだと思います。褒めることにも叱ることにも功罪があり、それらをよく吟味して、我が子の性格や家庭環境などを考慮して選択することが大事です。
 そして、何事にもそうですが、ちょうどいいさじ加減というものがあるのです。

 日本人は自己肯定感が低いと言われます。それは日本の教育に問題があるからです。あまりちょっとしたことでは褒めません。人前で我が子を褒めることを良しとせず、褒めてもらっても
「いえいえ。うちの子はたいしたことありません。」
と否定したりします。もちろん、褒められたときに
「そうなんですよ。うちの子は素晴らしいんです。」
なんて言った日には、顰蹙を買いますよね。そこまではできなくても、
「ありがとうございます。」
と言っておけばいいのに、なぜか世間体を気にして否定してしまう人が多いんですよね。
 確かに、褒めるという行為には、気恥ずかしさを伴います。日本人が持っている「恥の文化」が褒めることをおしとどめてしまうことがあるようです。
 褒められることが少なく育った子どもの自己肯定感が低くなるのは、当然のことです。子どもを褒めることは、親が意識してできる大切な教育活動だと思います。

親力 26 学校というものが我が子に合わないとき

Posted By on 2022年3月6日

 ■ 根本的に学校が合わないとき
 今の学校というシステムに合わない子どもがいます。
・ 集団で行動しなければならない。
・ ずっと座って授業を聞かされている。
・ ルールばかりで自由が全くないので、自分のやりたいことができない。
 こういう子どもたちは現行の公教育には合わないのです。
がまんして学校へ行かそうとし続けることは、我が子の成長にとって大きなマイナスになることでしょう。
 不登校に陥る可能性もあります。

 ならば、オルタナティブスクールを考えてみてはどうでしょうか。
公教育の現状を打破するために、いまや各地にさまざまなオルタナティブスクールが作られています。
 子どもの性格や言動から考えて一番フィットする学校を選びましょう。
そこが合わなければ、辞めればいいのです。
また違う学校を探すのです。
 そういうことに時間と労力をかけることが、親力なのですよ。

親力 25 教師が嫌だと言うとき

Posted By on 2022年3月5日

 ■ 教師が嫌だと言うとき
 担任の先生のことを嫌ってしまったら、本当に困りますね。
多くの子どもたちは先生のことをよく見ていて、性格の醜さなども見抜いてきます。
でも、その大半は、先生と適当に距離を置いてつきあっていけるのです。
 そんな器用なことのできない子どもがいます。
そうなると、教室にいることが苦痛になります。
こういう子どもはまっすぐな心、繊細な心を持っているので、学級にいるだけで、日々傷ついていくものなのですね。
 子どもがその先生に合わないからと言って、担任を代えてくれなどと、言えるわけがありません。
多くの子どもたちの不満が高くて、保護者の多くが問題意識を持っているならば、
学校側に先生の言動に対して指導してくれと要求していくのはありだと思います。
でも、それほどでもないけれども我が子には無理だというときには、思い切って学校を休ませましょう。
 そんな状態で学校へ行っても、子どもにとって何もプラスはありません。
ただ、学習の遅れが出ないように、なんらかの対策を講じておく必要があります。
塾に行くとか、オンラインでの学習をさせるとか、専用のアプリで学習するとかです。
 今は、タブレットやスマホで友達ともつながれる時代です。
そういうアイテムを活用して、学校へ行かないことを補っていけば、
半年くらい休んだって、どうってことはありません。

親力24 子どもが学校へ行きたがらなくなったら

Posted By on 2022年3月4日

※ 子どもが学校へ行きたがらなくなったら
 子どもはときどき、学校へ行きたくないと思います。そのことを口にしたときは、まずは一度学校を休ませてゆっくりと家で過ごさせましょう。買い物に連れて行ってもいいですし、どこかへ遊びに行くのもいいでしょう。
 そうしながら、子どもがどの程度学校へ行き渋っているのかを探ります。
 友達関係で嫌になることもあるでしょう。
 教師が嫌で休みたいのかも知れません。
 根本的に学校と言うものが合わないことだってあるでしょう。
 あわてずに、じっくりと様子を見て、ゆっくり話し合ってみましょう。一日休んだら元気が復活して、学校へ行くと言い出すかも知れません。
 親は、基本的に学校へは行かなければならないものだと思っています。その考えはひじょうにノーマルなものです。
 そこでつまずいてしまうと、あせります。不登校になってしまって、後々、引きこもりになるかも知れないと思ってしまいます。引きこもりになったら、社会からドロップアウトするのではないだろうかとまで思うのです。
もちろん、その可能性は十分にあります。だからこそ、初期対応を慎重に丁寧に考えないといけないのです。

■ 友達関係が元で学校へ行きたくないと言ったとき
まずは、いじめの問題が頭をよぎるでしょう。いじめ案件は前述のように行動を起こさないといけないでしょう。
そこまでのことではなかったときには、子どもとのコミュニケーションをとりつつ、子どもの力にまかせることも大切です。ただ、いじめというものは、あるきっかけで急速にエスカレートすることがあるので、ようく子どもを観察しておきましょう。
先生に相談をかけておくことも必要です。いきなり大きないじめ案件だと騒ぐのではなく、
「先生、ちょっと気になるので様子を見ておいていただけませんか。」
と、お願いするのです。突然親御さんが来られて攻撃的に責められたら、先生も防御的にならざるを得ません。そういう親と先生の敵対関係にしてしまうと、子どもにとって何も良いことはないのです。
「一緒に考えてください。」
という姿勢で良いのです。

親力23 体調管理能力

Posted By on 2022年3月3日

※ 体調管理力
 心と身体の体調がいいと、子どもは健やかに育ちます。いろんな訓示や説教を垂れるよりも、子どもの心身の体調を管理することの方が大切です。
 「管理」という言葉には、何か強制的なニュアンスがあります。しかし、強制的に管理してしまうと、心身の健康は、かえって損なってしまいます。そういう管理の仕方ではなく、生活のリズムを作れるような管理の仕方が必要です。
 さらに、毎日、子どもの表情をよく観察することです。
 日々、学校から帰ってきた時とか、食事の時とかの定点観測(時間と場所を決めて、同じように観察すること)をするのです。日々、定点観測をしていると、心身のほんのちょっとした違いにも目を向けることができます。
 たまに、思い付いた時だけ子どものことをよく見ても、分かるものではありません。何年にもわたって日々見続けているからこそ、分かることがあるというものです。
 体調が悪い時には、どうしますか? まずは、休養、保温、栄養の三点を確保します。この三つが落ち着いた状態であれば、薬は必要ではありませんし、医者にかかったり薬を飲んだりした時にも、この三点セットは大事になります。
 親は、この三点セットを考えて子どもに示していかねばならないと思います。

 さらに、心の調子が悪いと気づいたら、手を打たなければなりません。これは学年や子どもの成長に応じて変えていくべきでしょう。
 子どもの心がしんどくなったときに、親に言えるような関係を日ごろから作っておかなければ、対応しきれませんね。
「親に行っても仕方ない。」
とか、
「どうせ文句や小言を言われるだけだろう。」
等と思われていたら、子どもが本音を打ち明けてくれることなど、あるはずがないですね。

親力 22  戦闘力 (いじめにあったとき)

Posted By on 2022年3月2日

※ 戦闘力 (いじめにあったとき)
 子どもがいじめにあったとき、中途半端に励ましてはいけません。いじめというものは、具体的な事実をつかむことが最優先ですが、子どもはなかなか親にも本音は語らないものです。
 親に対して、恥ずかしいとか、申し訳ないとか、そういう感情が働いてなかなか言えないものなのです。
「お母さんやお父さんに言えたら、苦労しないよ。」
というのが、いじめられた子どもの多くの思いです。
 親に話し出したら、そのときはもう限界に達しているのかも知れません。今どきの子どもたちは、死ぬことに対するハードルが低いので、いじめに対しては過剰に反応しても良いと思います。
 まず、子どもから事実を聞き取ります。それを持って早急に担任に合って話します。このとき、子どもが
「先生には話さないでほしい。」
と言ったら、その理由を確かめて判断します。

 昔、担任している子どもがどうもいじめに合っているのではないかと危惧する案件がありました。僕はその子を呼んで二人だけで話をしました。
「がまんできそうか?もしできないなら、すぐに先生はなんとかするけど?」
しばらく考えた子どもは
「まだ大丈夫です。もう少し自分でがんばってみます。」
と言いました。そこで、
「もしも、がまんできなくなったと思ったら、すぐに言っておいで。先生が動くから。」
と言いました。
 その後、僕はそのこと周りの動きをじいっと観察していました。そしたら、あるとき彼がやってきてこういったのです。
「先生、もうがまんできなくなりました。」
 僕は
「すぐに手を打つ。でもな、ここが大事なとこだけど、先生が手を出した後、仲間から
『お前先生にチクったやろ。』
というようなことを言われたら、すぐに先生に言いにおいで。叩き潰すから。」
と言いました。そして関係者を呼んで、じっくりと話をしました。
 それ以後、いじめはなくなりました。
 慎重かつていねいな対応の必要なのが「いじめ案件」です。

 教師に相談するのは当然ですが、事実をもとに話しましょう。それを受けて何もしない教師であれば、管理職に言いましょう。一度動き出したら、いじめがなくなるまで手を休めてはいけません。いじめに対しては、親は必死で取り組まないといけないのです。
 管理職が動かなければ、教育委員会にお願いします。
 それでも動きがなければ、
「ネットにこの事実を公開します。」
と、伝えましょう。我が子を護るためなら、なんだってやるという姿勢を見せることが大切です。
 恥ずかしい、世間体、格好悪い、そんなことを言っていたら、我が子は護れません。
 学校なんて、安全安心して行けなくなればいかなくてもいいのですから。
 いじめ案件は死に直結する事案です。なりふりかまわずにやりましょう。我が子の命以上のものは何もないのですから。

親力 21 過干渉

Posted By on 2022年3月1日

 僕が中学に入った時のことです。僕の母親は、うちに連れてきた友達に、何やら難しい問題のようなものを出して困らせました。そして、その友達の帰った後に
「あんな頭の悪い子どもとはつきあったらいけない。」
と言ったのです。
 僕は怒りましたね。
 次の日、その友達は学校でみんなに
「多賀のお母さん、めっちゃうっとおしいで。」
と言ったものです。
 それ以後、僕が友達を家に連れてくることはなかったのです。
 友達をテストして、勝手に評価して、我が子の交友関係を自分の考え通りにしようとすることは、僕が反発して別の道を選んだから良かったですが、親の言うとおりに従っていたら、とんでもない人間に育っていたと思うのです。(ちなみに、その友達は、大人になってから何度も飲み会で一緒になって、楽しくやっています。)
 過干渉は、子どもを歪めてしまうのです。

親力 ⑳ 過保護と過干渉

Posted By on 2022年2月28日

※ 過保護と過干渉
 僕は、今の時代、過保護はある程度ありだと思っています。
 登校園中の子どもたちの列にナイフで襲撃したり、トラックが突っ込んだりという事例が後を断ちません。
 教師や保育士によるマルトリートメント(虐待とは言い切れない、大人から子どもに対する避けたい関わりのことで、虐待、ネグレクト等に発展する場合もあります。)が頻発しています。
 子育てにはリスクも伴うので、全てに関して完全に護り切ることは不可能ですが、少し過保護気味なことは、いたしかたないかなと思うのです。我が子を護るために、少し過保護でもいいくらいの時代なのではないでしょうか。

 問題なのは、過保護よりも、過干渉だと思います。
 子どもと一緒に3者面談をすると、子どもに話させずにずっと親が話しているということもよくあります。子どもが自分の思いを自分の言葉で話す機会を奪ってしまっているのです。
 子どもの宿題に口出しして、完璧に仕上げて提出することを良しとする方もおられます。そんなことをすれば、教師側としては、間違ったところを指導できないではありませんか。(もっとも、親が口出しするべきだと考えている教師も、たまにいるのですが・・・。)

 友達を親が選ぼうとします。これは恐ろしいことです。そりゃあ、不良グループと付き合い始めたら、断固として反対するのは当然だと思いますが、
「あんな子どもと遊んではいけません。」
「もっといい子と遊びなさい。」
等と、子どもの付き合いに口出ししてくる親は、過干渉だと言わざるを得ないでしょう。