「だいじな本のみつけ方」
Posted By taga on 2014年11月1日
大崎梢のライトのベルというか、
ヤングアダルトというか。
そういうジャンルの本。
書店ものの方が圧倒的におもしろいが、
小学校高学年から中学校の本好きの子どもには
オススメかも知れない。
おどろいたのは、
「ビブリオバトル」という言葉が当たり前のごとくに使われていたこと。
そこまで一般的ではないと思うんだけど・・・。
教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。
Posted By taga on 2014年11月1日
大崎梢のライトのベルというか、
ヤングアダルトというか。
そういうジャンルの本。
書店ものの方が圧倒的におもしろいが、
小学校高学年から中学校の本好きの子どもには
オススメかも知れない。
おどろいたのは、
「ビブリオバトル」という言葉が当たり前のごとくに使われていたこと。
そこまで一般的ではないと思うんだけど・・・。
Posted By taga on 2014年10月31日
特別支援教室で初めて絵本を読ませていただいた。
子ども達が集中して20分間も聞いていられるだろうか。
絵本の力を信じながらも、
子ども達が想定できないと、自信がない。
絵本の選択が全てかなと、必死で四冊選んだ。
①「うきうきしたら」オールバラ
低学年から高学年まで一緒に聞いてくれるのだから、
全員に確実にミートする者でなければならない。
迷わず、この絵本だった。
案の定、スタートから食い入るように絵本の世界に入っていく。
読みながら、ほっとした。
②「おしっこぼうや」ラドヴィンスキー
この本は、戦争のところが出てくるから
どうかなあとも思ったが、ぼうやに同化して聞いてくれているのが
分かったから、そこを強調して読んでいった。
③「はい、チーズ」長谷川義史
僕はこの本を読むのが得意だ。
落語を練習してきたことが役立っているのだと思う。
子ども達も先生たちも一緒になって、笑ってくれた。
④「パパとママのたからもの」
この本は、伝えたいテーマがあったから、選んだ。
なんとなくしか伝わらないけど、
君たちも大切な宝物なんだよと言うメッセージ、
伝わったかなあ。
僕は担任してたら、きっと読み終わった後に、そう言うだろう。
絵本の力を改めて再認識できた貴重な体験だったと思う。
僕に絵本を読んでほしい学校・幼稚園、手弁当で引き受けますよ。
Posted By taga on 2014年10月30日
西宮の小学校の研究会。
講演では「聞き合うために必要なこと」を話した。
顔ぶれを見ると、若手は少なくて、管理職の参加者が多かったので、
急遽、内容を少し変えた。
若い先生向けのギャグは封印して、
学校の研究会でファシリテーションを用いることの意義を力説した。
具体的事例で語ったつもりだが、どうだったか。
指導主事のみなさんは、おおむね僕の考えに同調して下さる。
それは、実際に研究会に行くと、
活発に話し合いは行われずに、
残りの時間が全て
「指導の先生、どうぞ、」
と、回ってくるからかも知れない。
「授業の考え方、見方を変えないといけないんですよ。」
と、伝えたつもりだが・・・。
何人かの校長がうなずいてくれていたから、
少しは伝わったかなあ。
Posted By taga on 2014年10月29日
1年生に特化した本
できあがった。
1年生で必要なこと。
考えるべきこと。
全て書いた。
第1章 今どきの1年生って、どういうもの?
-「小1プロブレム」が問題化-
「小1プロブレム」って何? 7
「自律」と「躾」を同時に考える 8
① 入学前の子どもたち 9
② 入門期は、特別な時期 12
③ 1年生の一年間の持つ意義 14
④ 保護者教育は、この1年にかかっている 18
⑤ 楽しさを演出しよう 31
⑥ 「なぜするのか」-1年生だからこそのプレゼンスを- 33
第2章 入門期は、離陸のための滑走期
-初日からの3か月-
① 入門期の子どもたちの特徴 35
② 初日からの1週間でなすべきこと 36
③ 入門期の国語 39
④ 入門期の算数 53
⑤ 入門期の体育 60
⑥ 入門期の生活指導 64
⑦ 入門期の道徳 68
⑧ 夏休み前にしておくこと 7
第3章 2学期からの学級づくり
① 夏休みに成長する子どもたち 76
② 長い2学期の乗り切り方 77
③ 本格的な学級づくりへ 79
④ リセットすべきこと、継続すべきこと 82
⑤ 行事を成長の糧にする 85
第4章 2学期からの授業づくり
① 国語の基礎体力をつくる 90
② 書くことの喜びを感じさせる 91
③ 算数の授業で考えておくこと 92
④ 書く授業 94
⑤ 冬休みのくらし 95
第5章 3学期の1年生
① 基礎学力の確認と定着 100
② 話し合いの活動を取り入れる 102
③ 徐々に子ども中心へ 103
④ 3学期の授業例 104
⑤ テイク・オフへのアドバイス 107
第6章 学級教育に絵本を活用する
① 読み聞かせの時間を確保する 109
② 1年生 絵本歳時記(12か月に選ぶ絵本) 112
◆資料① 漢字の総復習 125
◆資料② 「どうぶつの赤ちゃん」ワークシート 127
Posted By taga on 2014年10月28日
いろいろな学校へお話をさせて頂きに行くと、
その後で先生方が相談に来られたり
アドバイスを受けに来られたりする。
研究推進の先生がこういうことをおっしゃいました。
「今日もじっくり付き合ってくださって、ありがとうございました。
校長が「遅くまでお引き留めして申し訳ない」と申しておりました。
毎回、遠慮せず心ゆくまでお話させていただいているのですが、
本当によろしいのでしょうか。。。
(と言いつつ、12月もたくさん話すと思います。すみません。)」
僕は、その時間が大切で、たくさんの発見をする。
次の研究会のアイデアもわくし、
継続的なアドバイスもできる。
いろいろな学校の抱える問題や共通点も分かる。
僕に無駄な時間なんて、全くない。
Posted By taga on 2014年10月27日
もともと言葉というものは、
経験の積み重ねが言葉と「もの」とを結び付けて、
それが強化されていくものだ。
繰り返して使われる言葉は自然に覚えてしまいやすい。
赤ちゃんが最初に発話するのは、「まんま」や「まま」等の言葉だが、こ
れはお母さんが「まんま、あーん。」とか言いながら食事を与えるからだ。
赤ちゃんに
「口を開けましょう。はい、御飯です。お食べなさい。」
と言って与えるお母さんは、あまりいないだろう。
言葉は全て教えられて、身についていく。
そして、その言葉を使ってみたら、認められ(喜ばれ)たり、「えらいねえ。」と褒められたりして
、繰り返し強化されて覚えていくのである。
言葉の経験の蓄積ということが必要なのである。
しかし、今どきの子どもたちの言葉の体験は偏っている。
テレビ、アニメ、マンガ等から入ってくる言葉の経験が圧倒的に多いのだ。
だからこそ、学校では「日本の美しい言葉」というものを教えなくてはならない。
教科書にそういう単元ができたのは、そのせいだ。
しかし、教科書の語彙数では、全くもの足りない。
言葉は自ら獲得していかねばならない。
ただし、難しいのは、辞典をどんどん引いたら語彙数がぐんぐん増えていくかというと、そうでもない。
Posted By taga on 2014年10月26日
先日の御嶽山の噴火のときに、新聞に「犠牲者は長野県内外の男女」ということが書いてあった。
僕はこういうことに引っかかってしまう。
「それって、おかしくない?その範疇にはいらない人間は、地球上に存在しない。」
「正しくは、どういうべきなんだろう。」
と思索すること。それも言語姿勢なのだ。
そんなことを繰り返して、人は言語の知識を身に付けていくのである。
言語姿勢を子どもたちに育んでいくためには、
まず、教師自身が言葉に対して謙虚で細やかでなくてはならない。
教師は子どもたちの前でたくさん話をする。
それなのにいい加減な言葉ばかり使っていたら、子どもたちの言語姿勢は育たない。
言葉に対する細やかな見方というものは、心の細やかさにも通じていくのである。
「細かいことをごじゃごじゃ言うな。」
とおっしゃる方もいる。しかし、そういう方は、全校生を前にして
「耳がたこになる。」
というようなおかしな言葉を使ってしまうのである。しかも、ご自分では決しておかしさに気付かない。
言葉を知らない教師はいろいろなところでそのことを露呈してしまう。
5月の晴天続きの朝に、
「今日も五月晴れです。」
等とおっしゃって、したり顔をなさる。実にみっともない。
Posted By taga on 2014年10月25日
僕は国語の教室において、いつも言語姿勢というものを大切にしてきた。
言葉に対する姿勢、心構え、見方等を統合して「言語姿勢」と呼んでいる。この言葉をそのまま教室で使ったことはないが、いつも自分が意識していて、子どもたちの中に育んでいきたいものの一つであった。
言語姿勢のない教師は、教材研究が広まらないし、深まらない。
たとえば、教材文中に「介護」という言葉が出てきたとする。おそらく教師はほとんど全員が知っている言葉である。よく聞く言葉で、21世紀の日本社会における重要語句の一つだと言っても良いだろう。
しかし、知っていても、そこで一度辞書を引いて確かめようとするのが言語姿勢なのである。
少し古い辞典で調べると、「介護」は載っていない。「広辞苑」の旧版(第2版補訂版)には載っていない。
「えっ、どうして?」
と、新しい辞典を調べてみると、載っている。ちなみに、「三省堂広辞林」第5版は×。小学館大辞泉」は、〇。三省堂の例解国語辞典は、〇。もちろん「広辞苑」の現在出回っているものには載っている。
このように調べていくと、「介護」という言葉が、比較的新しく認知された言葉だということが、分かってくる。
「どんなことでも、ともかく一度、辞典を引いてみよう。」
という姿勢が、言葉に対する深まりを生むということだ。
Posted By taga on 2014年10月24日
最近、講座に出るだけでは学びにならないという意見をよく聞く。
でも、若い先生にとったら、
セミナー等を聴いたら新しいことがいっぱい入ってくるし、
自分でもできそうなことが見えたように感じて
元気が出るものだ。
「子どもを通してこそ、実践になる」
と言うのは、本当だ。
しかし、そのことの意味は、簡単にはつかめない。
聴いたことをすぐに子どもに実践せよということではない。
じゃあ、どう考えれば良いかと言うと
本を読んだり、セミナーで聴いたりしたことは、
自分のカードが増えたということだと考えてはどうか。
カードはすぐに使ってしまうと、ろくなことはない。
使い時を考えながら持っているということが大事なのだ。
Posted By taga on 2014年10月23日
勉強が自分を変えていくと書いたが、
勉強しているつもりの人は、全く変わらない。
たとえば、講座を克明にコピーのごとくノートに書いて、
しかもそれを「学び」と称してアップする人がいる。
「すごいですね」「さすがです。」
と、もてはやす人がいるので、止められなくなる。それを見て
「学ばせていただきます」
なんて書き込みする人に「学び」は決して、ない。
そんなのは学びじゃない。
子どものノート指導に置き換えてみれば、分かることだ。
先生の言ったことを克明に記録している子どもと、
自分で取捨選択しながら、
自分の感じたことを少しずつでも書き込んでいる子どもと、
どちらの子どもが伸びていくだろうかということだ。
板書を丸写しするときは、それなりの意義はあるのだが
その丸写しをしたときに、赤ペンで―線を引いて「?」を書きこんでいたら
凄いノートだと思う。
自分の考えたことや考えている軌跡がノートに現れるということだから。
ただそれだけで、ノートの意味は大きく変わるだろう。
そして、友だちのノートを読んだら学びになるのだろうか。
大学のテスト対策として、友だちのノートを写させてもらう学生は
テストの対策であって、学んでいるわけではない。
点数はとれても、講義の中身を考えるわけではない。
学びは、思索を伴なわなければならないのだ。