学び方
Posted By taga on 2014年10月23日
勉強が自分を変えていくと書いたが、
勉強しているつもりの人は、全く変わらない。
たとえば、講座を克明にコピーのごとくノートに書いて、
しかもそれを「学び」と称してアップする人がいる。
「すごいですね」「さすがです。」
と、もてはやす人がいるので、止められなくなる。それを見て
「学ばせていただきます」
なんて書き込みする人に「学び」は決して、ない。
そんなのは学びじゃない。
子どものノート指導に置き換えてみれば、分かることだ。
先生の言ったことを克明に記録している子どもと、
自分で取捨選択しながら、
自分の感じたことを少しずつでも書き込んでいる子どもと、
どちらの子どもが伸びていくだろうかということだ。
板書を丸写しするときは、それなりの意義はあるのだが
その丸写しをしたときに、赤ペンで―線を引いて「?」を書きこんでいたら
凄いノートだと思う。
自分の考えたことや考えている軌跡がノートに現れるということだから。
ただそれだけで、ノートの意味は大きく変わるだろう。
そして、友だちのノートを読んだら学びになるのだろうか。
大学のテスト対策として、友だちのノートを写させてもらう学生は
テストの対策であって、学んでいるわけではない。
点数はとれても、講義の中身を考えるわけではない。
学びは、思索を伴なわなければならないのだ。
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