教師自身の姿勢

Posted By on 2014年10月26日

先日の御嶽山の噴火のときに、新聞に「犠牲者は長野県内外の男女」ということが書いてあった。

僕はこういうことに引っかかってしまう。

「それって、おかしくない?その範疇にはいらない人間は、地球上に存在しない。」

「正しくは、どういうべきなんだろう。」

と思索すること。それも言語姿勢なのだ。

そんなことを繰り返して、人は言語の知識を身に付けていくのである。

 

言語姿勢を子どもたちに育んでいくためには、

まず、教師自身が言葉に対して謙虚で細やかでなくてはならない。

教師は子どもたちの前でたくさん話をする。

それなのにいい加減な言葉ばかり使っていたら、子どもたちの言語姿勢は育たない。

言葉に対する細やかな見方というものは、心の細やかさにも通じていくのである。

「細かいことをごじゃごじゃ言うな。」

とおっしゃる方もいる。しかし、そういう方は、全校生を前にして

「耳がたこになる。」

というようなおかしな言葉を使ってしまうのである。しかも、ご自分では決しておかしさに気付かない。

言葉を知らない教師はいろいろなところでそのことを露呈してしまう。

5月の晴天続きの朝に、

「今日も五月晴れです。」

等とおっしゃって、したり顔をなさる。実にみっともない。

 

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