多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

当たり前だけれど、大切なこと

Posted By on 2014年8月29日

廣木道心さんが、書いていたことを

ご本人の了解を得て、ここにアップする。

フェイスブックなどしないで、このブログだけを見て下さる方もたくさんいらっしゃるので。

 

「なかなか動かない行政の歯車と県庁職員の葛藤、それに振り回される助けを求める介護者(民間)の心の叫びと苛立ち…。
実際に何か変えようと本気で活動したことのある人なら感じたことがあるはずのジレンマ。

ヘルパーをやっていて、障がいのある息子の育児を通じて学校や地域との関わりの中で、結局、居場所っていうのは、取り合えず確保された場所や、他に行き場がないからといってあてがわれた単なるスペースじゃないってこと。

当たり前のことのようだけど、居場所って「ここにいてもいいよ、大丈夫だよ」って感じられる、自身の存在を認め、受けとめてくれる人たち、仲間たちがいて、そうした空気感があって始めて居場所だと感じられるものだから。

居場所は人が産み出すものだから、場所じゃなく、そこに関わる人なんですよね。

居場所論ってよく言われることだけど、そんな難しい話じゃなくて、単純に人が幸せを感じられるときって「どこにいるか?じゃなく、誰といるか?」だと思うから。」

居場所について、実に明確な言葉だと思う。
「誰といるかが大切」
その誰かが、学校にいれば、学校が居場所になる。

まじで悩んでいる

Posted By on 2014年8月28日

青山新吾さん、廣木道心さんと一緒にセミナーをして、

会そのものは良かったんだけど、

僕自身の話が納得いかず、ずっと悩んでいる。

原因ははっきりしている。

僕に実践がないということだ。

僕は、実践家である。

これまで自分が実践してきた窓口から話せるから

まともな話ができる。

でも、グレーゾーンの分野においての実践はない。

「こうしていれば良かった」という話がせいいっぱいだ。

授業なら、飛び込みでも実践できる。

でも、この分野においては、情けないほどのものしかない。

青山さん、廣木さんのような「芯」がない。

僕がここにいていいのだろうかとおもいながらの講座だった。

廣木さんの力をもっと引き出したいし、

青山さんには、もっと突っ込んで話してほしい。

だから、セミナーは来年もやりたいけれど、

自分自身に迷いがある。

学べば学ぶほど、落ち込んでくる。

「こんな勉強しました」と学んだノートを公開するような愚かなことはしないが、

自分なりに努力していることは、自信がある。

でも、実践がなくて、何を語るのか。

僕は、学者ではないのだから。

マジで悩んでいる。

 

カープファン

Posted By on 2014年8月27日

広島カープの前田健太投手が

広島の土砂災害の被災者の方から

「今の楽しみはカープが勝つことです」

とたくさん言われたと、インタヴィユーで応えていた。

 

カープは、その日、喪章をつけて試合をしていた。

カープは、昔からそういう球団なのだ。

市民球場の前に、カープ球団を維持するための募金の樽が置いてあった。

お金はないが、意気だけはある。

そこに惹かれた。

夜行列車に乗って東京へ行って

その日に巨人と戦う。

おばあさんが広島駅まで見送りに来て、

長谷川投手に竹の皮に包んだおにぎりを渡した。

それを食べて涙の完投をした。

貧乏球団だからこそのエピソードが満載である。

 

僕は、50年以上も前からのカープファン。

広島で講座する機会を得たら、

「カープと教育」というテーマの時間もほしいなあ。

 

 

おもしろい講座の話

Posted By on 2014年8月26日

土作さんから、

ちょっと変わった講座の話が来た。

いろいろと考えるなあ。

京都で「多賀先生に飲みながら学ぶ会」。

 

飲みながら、学生たちに教育を語る会なんだそうだ。

いいねえ。

準備しなくていいしね。

 

物まねもしようかなあ。

あっ、通じないか。

 

先生が楽しいって、伝えたいね。

 

 

図書室の可能性

Posted By on 2014年8月25日

最近、図書館司書の方々に話させていただくことが

多くなった。

僕のようなものは場違いだと思うのだが、

求められたら、精一杯自分の考えを語ってきた。

 

図書の先生方は、とても遠慮がちである。

でも、とっても意味深い大切なことをしていらっしゃることに、

自信を持ってほしい。

 

本の世界って、すばらしい世界で、

それを広げていくのが、図書館・図書室のみなさんなのだから。

 

そして、図書館・図書室の探偵さんなんですよ。

 

君が僕の息子について教えてくれたこと

Posted By on 2014年8月24日

NHKの放送を録画して、

ようやく見ることが出来た。

なんていうか、静かに心に響いてしまう。

いつのまにか、涙がたまってしまう。

 

オーティズムのことを、とやかく理論的に言うよりも、

この特集を見た方が、ずっといい。

 

大切なことは、

周りの人たちが、自分の存在を苦痛に思わないこと。

家族の笑顔が一番だということ。

 

偶然、日本語の教師をしていたアイルランドの作家が

自分の息子がオーティズムであったこと、

青年のエッセイに出会ったこと。

それが大きなうねりになる。

偶然とは、必然なのである。

今、ここに、大切なことがひろがりつつある。

再放送もあるそうだ。

http://www.nhk.or.jp/school-blog/300/195393.html

別荘にもどった話

Posted By on 2014年8月23日

きっとさあ

状況がよく分からないから

大したことないと、思ったんだろうなあ。

 

「指示をしてもどったので非難には当たらない。」

って、言ってたけど、

阪神大震災のときも、スタートはそんな感じだったんだよなあ。

現場ではものすごいことになっていたのに。

 

たとえ、大したことなくても、一度官邸に直行する総理と

大したことなければ、とりあえずもどる総理と、

どちらを信頼するのか、という問題なんだよなあ。

図書館司書のみなさんへの話

Posted By on 2014年8月22日

瀬戸内市で講演の機会をいただいたあと、

司書のみなさんとの会談があった。

主催者の嶋田さんが

「5,6人の方とですから・・・。」

とおっしゃるので、軽い気持ちで行ったら、

30人くらいの方が集まって下さっていた。

 

いろいろな質問にお答えするということになったが、

日ごろ考えていることがお話できて良かった。

 

だいたい、学校の先生方の中には、

図書室をなめたような方がときどきいらっしゃる。

子どもを押しつける時間にしたり、

何かあったら、すぐに図書の時間を削ったりして平気だ。

司書のみなさんは、いつも遠慮していらっしゃるから、

僕が代わりに少し言おう。

 

「数の読解力に、読書が役に立つか」

と言われたら、どう応えるか悩んだというお話があった。

はっきり言って、ほとんど関係ない。

 

僕は、

「みなさんは、もっと大切な、子どもの心を豊かにするということを

本を通してしていらっしゃるという気持ちを持って下さい。」

というようなことを言ったが、

図書館で本を読んで算数の問題を解くことに活かそうなんて

こそくなことは、考えない方がいい。

そうじゃない世界だから、

成績の悪い子どもにとっても楽しめる世界だから、

読書ってすばらしいんだと、僕は思っている。

 


「先生方が子どもたちに本を薦めて下さるようにするには

どうしたらいいですか。」

というのは、切実なお言葉だと思う。

ともかく先生たちを「読み聞かせ」の世界に引きずり込むこと。

そのためには・・・。」

という話をした。

少しでもお役に立てただろうか。

こんなセミナーありかな

Posted By on 2014年8月21日

名古屋で梶川さんや一尾さん、宮下さんたちと飲みながら、

新しいセミナーの在り方を考えた。

 

参加費は、セミナーが終わってから払ってもらう。

最低100円にして、

このセミナーが自分にとってどれほど意味が深かったかを、

参加費で決めてもらうというもの。

 

これ、登壇者にも参加者にも

凄いプレッシャーがかかるセミナーだなあ。

 

全員が100円だったら、二度とセミナーなんて開けないよね。

 

飲んでいるときの話。

 

 

リフレーミング

Posted By on 2014年8月20日

一学期に、学級が

崩れかけたり、崩れてしまったりしていたら

リフレーミングしなければならない。

リフレーミングとは再構築のことだ。

リフレーミングするには、一度、立っているものを壊さなければならない。

 

つまり、部分的にいろいろと手直しするのではなくて、

一度、ゼロベースに戻しての再スタートしなければならないということ。

 

ただし、ゼロから出発したらうまくいくなどという

単純なことではない。

 

学級の崩れた教師の多くは、

「子どもたちに聞く」

という姿勢が必要だ。

でも、それができていないから

くずれているのだから、難しいことである。

 

でも、崩れてもいいから、ゼロからやり直す気持ちで向かうしかない。

「あなたたちがいやだと言っても、私はここに立ち続けるからね。」

という気概が必要だ。