多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

今日から私学の全国大会

Posted By on 2014年8月19日

今日から二日間は大阪。

私学の研修大会。

分科会で、いかに話さないかということが目標。

 

これまで、ベテランの「えらい先生」が

若手や中堅をたたきつけるような言葉を浴びせるのを目にしてきた。

時代的な背景もあるから

一概に否定はできないが、

ずっとそれを見続けてきて

「ああいう老害にはなりたくない」と思ってきた。

 

今日から三日間、「いかに貝になるか」だ。

片隅に座ってひっそりと、黙って勉強する。

そういう機会は、めったにない。

ひたすら、吸収に努めたい。

 

頼むから、最後に

「多賀先生、どう思われますか」

と、ふるのだけは、止めてほしいなあ。

視線を避ける作戦に出ようっと。

 

若い先生の育成

Posted By on 2014年8月19日

僕の仕事は若手の育成にある。

追手門小学校にいるのは、そのためだ。

 

若手の育成についても、いろいろな考え方がある。

セミナーの機会や編著に参加させて鍛えることもある。

 

僕は普通の先生をどう育てるかに視点を置いている。

カリスマ教師やスーパー教師を養成するのではない。

それは僕が常に大きな組織には参加せず、

外側で学んできたからかも知れない。

 

当たり前の教師は、

子どもをノーマルに育てると、僕は思っている。

本を書いたり登壇したりすることにあこがれる教師もいるが、

それは結果論じゃないのかな。

教育の目的は、そういうところにはないはずだ。

 

体調維持

Posted By on 2014年8月18日

後半戦がスタートした。

つくづく思うのは、体調を崩せないこと。

 

準備して、告知して、

大勢がその時間のために段取りをつけた

その朝に、電話一本で

「今日は体調不良で休みます。」

とは言えない。

 

そういう責任を負うということだ。

でも、この前教え子と飲んでいたら、

「先生、忙しい方が元気やね。」

と言われた。

気持ちの張りができているのかも知れない。

 

ということで、ここからの講座の原稿を作っている。

 

瀬戸内市で本の話をします。

Posted By on 2014年8月17日

8月22日は、瀬戸内市で、2時間、本の話をします。

参加自由。

無料だそうです。

詳しくは、下記のサイトへ。

自分らしさ

Posted By on 2014年8月16日

僕はカリスマ教師ではない。

とてもとてもそんなレベルじゃない。

若手のカリスマのように

学級を完全にコントロールできたことなど

一度もない。

 

自分の中にあるのは、

6割の失敗と2割の成功だと思う。

6割の失敗から学ぶことは多いから

それを語っているようなものだろう。

 

確かに、国語に関しては、実践はあると思う。

これは、阪神大震災の後、国語の研究会で、

なかなか提案者がたてられない上に、

大変な生活状況で、発表予定者もドタキャンせざるを得ないことが頻発したことが原因だ。

 

つまり、まだ余裕のあった僕が、常に提案を用意しなければならなくなった。

毎月。

それを1年続けたときに、尊師岡田崇先生が

「多賀さんがこうやって毎回提案をもってくることで

一番得をしてるのは多賀さん自身や。

多賀さんがこれで実力をつけていっている。」

と、おっしゃった。

そう言われて、次の月から提案をもっていかないというわけにはいかなくなった。

今は、その会へもなかなか行けないことが多いが

毎月提案を考えて実践しまとめることを

20年近くも続けたことが、今の僕の国語の積み重ねとなっている。

 

僕が「カリスマではない」というとき、本当は自分のプライドを語っている。

僕は実践を積み重ねてきた教師であって、

カリスマという実体のないものではないと言っている。

ある意味、もっとも傲慢なのかも知れない。

 

 

黄色信号

Posted By on 2014年8月15日

友人と電話で話していて

「この人は、ぶれない。

人への姿勢が首尾一貫しているなあ。」

と、つくづく思った。

 

僕はどうなんだろう。

自分を振り返ったとき

できているときと、できていないときがある。

つまり、

首尾一貫していないということだ。

 

このところ、自分を振り返らされることが重なっている。

これは、黄色信号なんだろうと思う。

「少し立ち止まってじっくり考えないと

違う道へ進んでいないか」

という警鐘が自分の中で起こっているのだと思う。

 

一日国語教室

Posted By on 2014年8月14日

昨日は、SOYAでの4回目。

たっぷりと国語について語った。

 

「ごんぎつね」の模擬授業は

1時間半。

実際は8時間の計画だから、はしょってはいるが、

通して考えるということ。

板書も指導法もじっくりと考えることはしていただけたのかなと思う。

 

「ごんぎつね」について、

ご自分の考えができたら、

充分だと思っている。

 

ネタは、楽しんでもらえたら、それでいい。

大切なのは、

なんでこういうことで子どもを楽しませる必要があるのか

ということだ。

そこを伝えられたかなあ。

 

さすがに正味6時間の講座は疲れたけれど

心地よい疲れだ。

 

落ち込み

Posted By on 2014年8月13日

退職してから2年半、

流れに任せるままに走り続けてきた。

 

調子にのっていた面もある。

ストレスの全くかからない生活で、

のびのびと好きなことをしてきた。

そして、青山さんとの会。

グレーゾーンの子どもたちへの考え方が必要だ、

それも、症名をつけて、対応を考えるということではいけない。

そういう思いでやってきた。

だから、青山さんとの会を持った。

 

でも、僕は、じっくりと自分の振り返りと理論とをつなげることが甘かった。

忙しさを理由にしている自分にも腹が立つ。

理念が間違っているとは、思わない。

しかし、それに向かう真摯な自分の振り返りができていないままに登壇した。

その自分に腹が立つ。

 

これまで勉強不足のところに踏み出しているのなら、

それなりの努力がなくてはならないのに。

 

久しぶりの落ち込み。

ダメージがきつい。

まだ、その答えは出ていない。

 

 

灯油とカメムシ

Posted By on 2014年8月12日

高校野球の強豪校でのいじめが問題になっている。

「カメムシを飲むか、灯油を飲むか」

と言われたそうだ。

 

この報道で、

どうにも理解できないことがあった。

「専門家によると、生で食べられるカメムシはないそうです。」

「灯油は、体に悪影響が出るそうです。」

 

そこかい。

 

あきれるというかなんというか、

こんなことを報道しておかしく思わないことが、理解できない。

この問題の本質はそういうことではない。

じゃあ、体に影響のない、人の唾液入りジュースだったら、いいのか。

 

これは、人権の問題なのだ。

プライドの問題なのだ。

飲ませようとしたものが体にどうこうということが問題なのではない。

世のため人のため

Posted By on 2014年8月11日

廣木道心さんが、講座の最後に

「僕は、自分のため

自分の息子のために、やっているんです。」

と、おっしゃった。

「世のため人のため全ての子どもたちのため」

なんかではなく。

 

同じようなことを堀川真理も言っていた。

「あたしゃあ、自分の子どもがいじめられない社会にしないといけないから

そのために必死でやっている・」

と。

 

「世のため、人のため」にしているという人は、なんとなく僕にはいかがわしい。

崇高な心は、僕のようなげすな人間には理解できないのだろう。

自分が好きだから。

自分の楽しみで。

自分のために。

と言う人に出会うと、ほっとする。