若手は頼もしい
Posted By taga on 2016年11月30日
月火水と、3日連続
同年代の先生の研究授業を見た。
みんな未熟で、指導案もすっきりかけていない。
けれども、子どもに真剣に向き合い、
教材研究を一生懸命して
自分なりに固執して作っていた。
提案性の高い授業。
課題も山ほどあったけれども、
可能性を感じさせてくれた。
いい先生の卵がたくさんいる。
それだけで、
本当にうれしくなる。
その教師人生に少しでも関われたことは
至福だと思っている。
教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。
Posted By taga on 2016年11月30日
月火水と、3日連続
同年代の先生の研究授業を見た。
みんな未熟で、指導案もすっきりかけていない。
けれども、子どもに真剣に向き合い、
教材研究を一生懸命して
自分なりに固執して作っていた。
提案性の高い授業。
課題も山ほどあったけれども、
可能性を感じさせてくれた。
いい先生の卵がたくさんいる。
それだけで、
本当にうれしくなる。
その教師人生に少しでも関われたことは
至福だと思っている。
Posted By taga on 2016年11月28日
今日の授業は
若い先生だからたくさん課題はあった。
けれども、子どもへの誠実さにあふれた授業だった。
なかなか豪傑のそろった教室だったが、
先生の心配りが子どもたちを支えていた。
後で、
「あそこまで持ってくるのは大変だったろうね。」
というと、
「四月のころはとても考えられませんでした。
そのときの・・・な子どもが、今日、手を挙げてくれました。
・・・な子どもは、こんな姿を見せてくれました。」
等と、一人一人の子どもへの思いがあふれてきた。
「子どもたちに細かい配慮していたね。」
というと、
「机間巡視のときは、
何人かの子どもたちを回るルートを決めています。」
と返ってくる。
いつも動いていて、立ち位置を変えている。
配慮というのは、そういうことだ。
こういう先生といる子どもたちは幸せだ。
やれ、学び方がどうの、
アクティブがどうのと、
方法ばかりがクローズアップされる。
でも、そんなの関係ない!
子どもに対して誠実な教師であることに、勝るものはない。
Posted By taga on 2016年11月25日
今回の千歳では
僕のライフワークの一つである「生命の授業」をさせていただいた。
学校でも、セミナーでも。
いつも「生命」を題材にするときには躊躇いがある。
「自分がこのようなことを扱ってもいいのだろうか」
という思いから抜け出せない。
だから、いつもおそるおそるしている。
しかし、ちゃんとする。
そこには使命感があるのだ。
心に言葉が届いたら、心が動いたら
思いが言葉になってあふれ出てくる。
今回もそうだった。
大人に対しての「生命の授業」にひびいて
多くのみなさんが個別にメッセージを届けて下さった。
人はときどき心の中に「やりきれない思い」を抱えている。
心が揺り動かされると、その思いが溢れ出して
語りたくなる。
誰かに思いを吐き出したくなる。
そういう化学反応のようなことが起こるのだ。
子どもも大人も。
Posted By taga on 2016年11月18日
文化庁はとめ、はね、はらいに対して指針を出している。
「これを筆写(かい書)の標準とする際に
点画の長短・方向・曲直・つけるかはなすか・とめるかはね又ははらうか等について 必ずしも拘束しないものがある 」
として,次のような例を掲げ,印刷文字の標準として 示した同字体表が,
筆写の楷書の習慣と一致しない場合があることを示している。
長短,方向,つけるか,はなすか,は らうか,とめるか,はねるか,などに関する細かい差異についても同様であり,
五つの組 合せ【文化庁のホームページを見ること】は,それぞれ同じ文字とみなされる。
このような認識を可能にするのは,具現化されたそれぞれの文字に,
その文字特有の骨 組みが内在されているのを読み取るからであると考えられる。
字形が違っていても,その 形状が当該の文字特有の字体の枠組みを逸脱しない範囲内にあれば,
その文字として認識 することができる。
こうした文字の認識は,漢字に限らず,平仮名や片仮名,ローマ字, 数字などにおいてもほぼ同様に行われている。
文化庁はそう言っている。
「とめ、はね、はらいをきちんとしなさい」
と、子どもたちに細かく指導して付箋まで貼っているということに
なんの根拠もないということだ。
子どもをしめつける意味がないのだ。
さらに、おそらく子どもたちが大人になるころには
ICT機器の充実によって、書くことすら大して意味を持たなくなるだろう。
なのに、いまだに、そういうことが大事だと頑張る教師がいる。
新任にそれを要求して、余計な負担を強いて、悦に入る教師もいる。
文化庁が間違っていると言えるほど
感じの勉強をしているのかと言いたい。
Posted By taga on 2016年11月16日
出石の小野小学校へは、
一学期以来、二度目。
6年生の子どもたちは僕を見ると
「おっ、多賀先生!」
「ほんまや。」
僕「覚えていてくれたんだ。」
「おーいって話」
「あの穴の話」
「ごみをいっぱい捨てていた・・・」
僕がストーリイテリングした、星新一の『おーい、出てこーい。』が
やっぱり印象に残ったんだなあ。
改めてお話を聞かせることの力を実感した。
Posted By taga on 2016年11月12日
毎年、特別支援教室で読み聞かせをさせていただく。
いつもは、二十五分~三十分という時間内で読んでいる。
今回、僕はアバウトな時間設定で臨んだ。
子ども達の反応次第で読むのをやめようと思っていた。
しかし、結局四十五分間、読み切ったし、
子ども達も最後は疲れた子どももいたが
しっかり聞いていた。
ここでの読み聞かせは、僕にいつもたくさんのことを教えてくれる。
全く反応しない子どもがいる。
でも、彼は目の表情が豊かで
眼が感情を伝えてくる。
「ああ、今、この子じいんとしているんだなあ。」
「おもしろがってるなあ。」
と、目だけで語りかけてくる。
この子たちとは、ほんといつも、真剣勝負している感じである。
読んだ本は、以下の通り。
『けしごむくん』
『おいしい音』
『おとなになったら、なにになる?』
『まいごのどんぐり』
『こうさぎましろのお話』
読み終わって、どれが良かったかたずねると、
いつもばらばらである。
そこがいい。
担任の先生方にもそれによっての気づきがあるようで、うれしい。
Posted By taga on 2016年11月11日
朝の明けきらぬうちに犬と散歩。
帰ってきて朝ご飯。
朝はゆっくりとらないと、体調がおかしくなる。
電車は普通にのって、あえて長い時間をかけて座っていく。
その間にいろいろな原稿を書いたり
読みたい本を読んだりする。
僕のカバンにはいつも、何種類かのノートが入っている。
追手門に着いて自分の部屋に入ったら
コーヒーを淹れてまずはリラックスする。
ベランダの窓を開けて空気を入れ替えると同時に
ベランダにボールが落ちていないか確認する。
子ども達が遊んでいて、よく二回のベランダにボールを上げてしまうからだ。
見つけたら、もちろん運動場のよく見える所へ投げる。
それから、今日の予定を確認する。
例えば、
二時間目は、一年生の授業参観。
三時間目は、四年の先生の指導を部屋で。
四時間目は、四年の劇をフォロー。
五時間目は、二年生で僕がブックトークする。
というように。
昼から少し早目に出て
公立の研究会に指導助言や講師として行くこともある。
帰りの電車は、半分は寝ている。
原稿を書いているときもある。
電車の中って、集中できるんだなあ。
帰宅したら、犬と少したわむれて
テレビを観ながらいろんな仕事をする。
昔で言う「ながら族」である。
メールチェックして、各所に連絡して
後はパソコンで原稿の仕上げや講演の資料づくり。
呑みに行かない日は、早く寝る。
これが基本の日常スタイル。
Posted By taga on 2016年11月10日
僕は出勤するときにときどき
交代して帰られる警備員さんに出会うときがある。
今朝は、向こうから「多賀先生」
と声を掛けられるまで気づかなかった。
制服を着てしゃんとしていらっしゃるときと
私服で歩いていらっしゃるときとは、
雰囲気が違うから。
しかも、その方とは初めて会話したくらいだったから。
でも、立ち話だが、いろいろなことが話せた。
「こういう方だったんだなあ。」
と思った、というのは
いつも厳しい顔で挨拶しても会釈だけされる方だったのでね。
四年目にして初めての会話。
思うんだけど、
やっぱり毎朝、僕が笑顔で挨拶してきたことは大きかったんじゃないかなあ。
僕は校門をくぐるときに憂鬱なことはせ全くない。
追手門小学校でストレスは全然ないからだ。
だから、いつも笑顔で挨拶ができる。
これって、とても大事な事なんだなあと思った朝。
Posted By taga on 2016年11月9日
僕は今、無性に腹が立っている。
こんな怒りはいついらいだろうか。
怒りに任せて投稿はしないし、
怒りをエネルギーにしての行動はとらない。
しかし、
「気づけよ!」
と叫びたい。
電通の女性社員の自殺で
お母さんが言葉を発していた、
「社員の命を預かっているという責任感を持って本気で改革に取り組んでもらいたい」
この言葉の重さが分かるだろうか。
学校の管理職の皆さんも
若い先生の命を預かっているという責任感を持っていただきたい。
その意識があれば、表情を見るだろう。
追い詰められているのかいないのかなんて、
ベテランの教師ならわかるだろう。
一声かけてもらうだけで、
見てもらっていると思えるだけで
心は救われる。
話をちゃんと聞いてもらえたら、聞いてくれるという安心感が生まれる。
管理職は管理だけする仕事ではない。
「命と心を預かる仕事」なのだ。
Posted By taga on 2016年10月29日
はっきり言おう。
スリッパを履いて教壇に立っている教師に
災害への心構えなど、ない。
そのとき、地震が起こったら、子どもたちを誘導しなければならない。
けがをした子どもがいたら、
背負わなくてはならないかもしれない。
そんなときにスリッパ履いていて、役に立つのか。
僕は必ず上靴を履いていた。
学校ではさまざまなアクシデントが起こる。
とっさに走らなければならないときもある。
僕は何度か血だらけの子どもを背負って走った。
万一災害が起きたら、
自分の足元はそれに対応できるのか。
そんなことを考えたことがあるのだろうか。
「着脱が便利だから。」
「水虫になりにくいから。」
「軽くて楽だから。」
全て教師目線の理由だ。
子どもたちのためにこういう理由でスリッパを履いていると
胸張って言えるものなら、言ってみろってんだ。
スリッパはトイレだけにしろ、と言いたい。