多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

親力 39 聞くことが対話

Posted By on 2022年3月20日

 さて、中学年以上になってくると、なかなか対話の機会がつくりにくくなってきます。
 子どもも忙しくなってくるし、学校のことを言いたがらない子どもも増えてきます。
特に自分の都合の悪いことは言わないと思っておいた方がいいでしょう。
 思春期に入ってくると、ますます親と対話すること自体を避けようとしてきます。
それも、当たり前のことなのです。特にうちの子は大丈夫なのかと心配することはありません。
 それでも、対話の機会を作って、子どもの話を聞くということはなんとかしてやってほしいものです。
子どもも大人も忙しいが、その中で少しでも時間を作るのです。
 子どもの話を聞く時は、まず、自分が話の途中で口をはさまないことが大切です。
つい、途中で口を出したくなる時ってあるものですが、それを自生してこその大人でしょう。
 それから、子どもが話しやすいような反応をするべきです。うなずいたり、相槌を打ったりして、聞いてるよという反応を示すのです。
 さらに、
「ふんふん、それから?」
とか、
「なるほど、それで?」
とかいうように、次の話を促すような反応をすると、子どもは話しやすくなります。
 よく聞いた上で、自分の考えを静かに語るのです。
対話ですから、相手(子ども)を自分の意見で説得するのではありません。
 子どもが心から納得するような話ができればいいですね。

親力 38 聞くことが対話の第一歩

Posted By on 2022年3月19日

※ 聞くことが対話の第一歩

 対話の一丁目一番地は、「聞くこと」につきます。
相手の話を最後まで聞き切ることが最も重要なのです。
この場合、相手というのは、子どものことです。
 幼児期や低学年の子どもの話は、ともかくつたないものです。
「あのね、それでね、これがね、・・・。」
と、まどろっこしい言い方しかできません。
同じことを何度も繰り返すし、要領を得ない話が延々とつづくこともあります。
それは当たり前のことですね。
 だって、幼子が理路整然と
「今日の午後三時半頃に、公園においてA君と砂場で遊んでいたところ、A君の掘った砂が後ろにいた自分の足に五センチほどかかったので、ムカッとなって、後ろからA君を押したら、A君が前につんのめった。怒ったA君が殴りかかってきたので、防御のために所持していたスコップを顔の前に掲げたら、A君の手がそのスコップの角に当たって、A君の右手の中指と人差し指が切れて、A君が泣きだした。」
等と説明したら、気持ち悪くないですか?
 つたない話を丸ごとじっくりとクジラ聞き(クジラのように餌のアミエビをがばっと丸ごと飲み込むような聞き方)するのです。
 それは、とてもめんどうなことです。
子どもたちが親に話しかけてくるときは、親の忙しさを見て、うまく手の空いたときにではなくて、
忙しいときに限ってやってくることが多いものです。
 したがって、じっくりと顔を向けて聞くことが難しいことではあります。
 しかし、そのときにじっくりと話を聞いてあげることで、子どもの心は落ち着きます。
心が落ち着いたら、正しい方向へと考えが向かうことが多いのです。

親力 37 親子だから掛け違うこともある

Posted By on 2022年3月17日

※ 親子だから掛け違うこともある
 親子だからこそ、掛け違うことって、たまにあります。
 甘えというのでしょうか。言わなくてもこのくらい分かるだろうという思い込みで、知らない間にボタンが掛け違ってしまうのです。
 「愛情」というものは、目に見えるものです。声として聴こえるものです。
 子どもに対して
「あなたのことを大事に思っているよ。」
と思うだけでは、子どもに伝わらないときもあるのです。
「あなたをこんなに愛しているよ。」
と、見せたことがありますか?
「あなたが大事なんだよ。」
と、直接言葉で伝えたことがありますか?
 そういうことも全然しなくて、顔を合わせれば小言か注意ばからしていませんか?
「早くしなさい。」
「そこ、片づけなさい。」
「宿題、やったの?!」
「何をやってるの!」
「もう!」
こんな言葉ばかりが親の口から出ていたら、子どもはどう思うでしょうか。
 それらの言葉は、全て、子どものことを思って言っているのだとしても、そんな言葉ばかり聞いていて、
「ああ、親は自分を大事に思ってくれているんだなあ。」
なんて、思えるでしょうか。

親力 36 関係修正力

Posted By on 2022年3月16日

⑬ 修正力
 親と子どもとの関係は、常に盤石というわけではありません。
 ちょっとしたことでボタンを掛け違って、それを放置しておくと、修正不能な状態になってしまうものです。
大人と子どもとの関係において、修正する責任は大人の方にあります。
子どもが謝ってくるのを待つというのも選択肢としてはありかも知れませんが、それは関係を修正することにはならないと、僕は思います。
ボタンが掛け違っていたら、早めに掛け直すことが必要になります。
放っておけば、どんどんボタンはずれていって、おかしなものになってしまうでしょう。
親子なのですから、掛け違ったと気づいた時になんとかすれば、良い方向に向かうはずです。

うちの庭に小手毬の木が二つあります。20年以上も前に頂いたものを植え替えたもので、毎年美しく咲き誇ります。
一年生の担任を終わった春休みに、家まであるお母さんが持ってきて下さったものなのです。
とても子ども思いのお母さんでした。
愛情の深い方でした。子どももとてもお母さん思いで繊細な子どもでした。
だのに、ボタンを掛け違えてしまっていたのです。
僕が子どもから思いを聞き取って、懇談で語ったときぽろぽろと涙をこぼしながら、でも、目をそむけずに聞いてくださったことを覚えています。
その日から、二人でボタンをかけ直しました。
時間はかかったけれども、親子だから、大好き同士だから、すてきな関係になっていったのです。
関係は修正どころか、ずっと強固なものに変わったのです。
そのお礼に頂いた小手毬の木です。この木が咲く度に二人の笑顔を思い出します。

親力 35 叱っても愛しているんだと伝える

Posted By on 2022年3月15日

 三年生まで全く叱られることのなかった子どもがいました。背が高くて賢いので、周りの子どもたちからはお姉さん的な位置づけをされている子でした。先生たちも、一度も叱ったことがありませんでした。弟は幼稚園のときから問題行動が多くて、お母さんはしょっちゅう謝りに学校へ来ていました。
 僕はその子をちょっとしたことで叱りました。ずるいことをしたのです。僕はそれを見逃しませんでした。
 生まれて初めて大人に叱られたのでしょう。パニックに近い状態になりました。おうちに連絡を入れて、叱ったこととその後の状態を話しました。
「そのまま放課後残しておいてください。私がまいります。」
とおっしゃったので、放課後に三者面談をしました。
 最初に僕が言ったのは、
「Мちゃん、お母さんは、あなたのことでも学校に飛んでくるってことが、分かったんじゃないのかな?」
ということでした。彼女はそれを聞いて、にっこりと笑ったのです。
 それからは、ちょくちょく悪いことをして、僕に叱られるようになりました。叱られても、僕や親との関係は悪くならないんだと分かったのでしょう。のびのびとやんちゃをするようになっていったのです。

 フォローは、叱ってもあなたへの愛情は何も変わりませんよということを伝えることなのです。

親力 34 叱った後のフォローまで考える

Posted By on 2022年3月14日

※ 叱った後のフォローまで考える
 叱るのは良いとしても、叱りっぱなしはどうでしょうか?
 子どもを叱った後、しばらく子どもとは妙なストレスのある緊張関係になります。叱られた子どもは、しょんぼりもするだろうし、心の中ではむらむらと反発心が出てきているかも知れません。
 叱った親の側は、叱ってすぐに笑顔で接するのも難しいですね。
 一番やってはいけないのは、
「ちょっと言い過ぎたかも知れない、ごめんね。」
とか、
「そんなに落ち込むことはないよ。」
とかいったフォローを入れてしまうことです。
 叱ったことを後で親自身が反省してそれを子どもに伝えるぐらいなら、初めから叱らない方が良いと思います。
 叱られた子どもは落ち込んでいいのです。落ち込む中で自分の行為をふり返り、次の一歩を考えるようになるのです。
 叱ったことをブレてはいけません。覚悟を持って叱ったのですから。
 
 でも、フォローは必要です。
「愛の一家」(アグネス・ザッパー)という物語があります。児童文学の中でも「家庭教育物語」と呼んでも良いような名作です。
 その話の中で、六年生の時に読んで、今もずうっと心に残っているシーンがあります。
 貧しい中で生活をしていた一家には、家訓がありました。
「食べ物には、文句は言ってはならない。」
ということでしたが、幼い少年は、スープの味が薄いことを、つい、口にしてしまったのです。少年は家の外へ放り出されました。
 しばらく玄関の階段に座って落ち込んでいた少年のところへ、お母さんがやってきて、スープを差し出してこう言いました。
「お父さんがね
『お腹がすいたから反省したとなっては意味がない。食べ物は与えて、そのうえで反省するようにさせなさい。』
と言ったので、持ってきたよ。」
 少年は、スープを飲んで、決してこれからはそういうことを口にしないと誓うというような話だったと思います。
 僕が心に残っているのは、お腹がすいたからと反省しても、意味がないという点です。こういうのが、フォローなんじゃないかと思うのです。
 叱っても、愛情は注ぐというのがフォローなのです。

親力 33 短時間で叱る

Posted By on 2022年3月13日

※ 短時間で叱り切ることができる
 怒りに任せて子どもを叱る(「怒る」と言った方がいいかも)親は、叱っているうちにどんどん感情がアップしてきて、長い時間ずうっと叱っているというようなことをしがちです。
 これは、完全に逆効果ですね。
 子どもは最初のうちは
「ああ、自分が悪かったなあ。」
と思うかも知れませんが、長―い説教が続くと、だんだん嫌な気分が増してきて、聞く気が起こらなくなっていきます。
 だいたい、叱るという行為は、相手を否定しているし、非難の言葉が並ぶのですから、元々聞いていられないものなのです。それを延々とやられたら、反省も何もあったものではありません。心に完全に蓋をして、言葉が入らないようにしてしまうでしょう。
 叱っている親自身がマインドコントロールできなくて、最後の方は、何をいっているのかさえ分からなくなることがあります。これは、いわゆるマルトリートメント(身体、精神、性虐待そしてネグレクトを含む児童虐待をより広く捉えた、虐待とは言い切れない大人から子どもへの発達を阻害する行為全般を含めた不適切な養育を意味する。)でもあるのです。
 叱るのならば、短時間で要旨をまとめた叱り方を考えるべきです。
 一瞬で終わって、子どもの心にはインパクト強く残るような叱り方が良いと思います。

親力32 自分の言葉で考えたことを言わせる

Posted By on 2022年3月12日

※ 自分の言葉で考えたことを言わせる
子どもを叱る時には、ついつい
「こう思うのが当たり前だろう!」
とか
「本気で反省してるのか!」
とかいう言葉が口から出ます。
 子どもが考える時間をとってあげずに、大人の権威でぎゅっと押え込んでしまおうとするのです。
 それでは、子どもたちが自らを省みて考えようとはなりません。
小学校の低学年まででは、子どもたちは考えるためのメタ認知がありませんから、考えさせても碌な言葉が出てきません。反省を口にしても、猿軍団の猿の反省と同じレベルで、格好だけ反省しているふりをしているだけなのです。
ですから、ピシッと短く叱責してそれで終わりにするべきでしょう。
「ダメなものはダメ!」
でいいのです。
 しかし、中学年以上になってきて、物を考えるためのメタ認知が増えてきたら、叱る時に、自分で考えたことを自分の言葉で言わせるようにしましょう。
「何がいけなかったのか、言ってごらんなさい。」
「どうすればいいのかを、自分で考えて話しなさい。」
というような言葉を投げかけて、子どもが自分の言葉で答えるようにしていくのです。親らタイする反発で黙って説教を聞いているだけのときは、心が閉ざされて自分では何も考えられなくなっています。自分で考えて言葉にすることは、その言葉に自分の責任が生まれるということです。
 叱るなら、そうさせないと・・・。

親力 31  事実を確かめる

Posted By on 2022年3月11日

※ 事実を確かめる
叱る時には、ある程度冷静に自分を落ち着かせることが大切です。子どもの問題行動に対しては、腹が立つのが当然です。そのかっかしている心を少し冷やす期間が必要なのです。
冷やすためには、問題行動と思われるものの、具体的な事実を確かめて、できれば
「なぜ我が子はそういう言動をしたのか?」
という問いかけをして分析することをしなくてはなりません。ただやみくもに
「怒ってはダメだ」
と、自分の心を抑え込もうとするだけでは、前には進みにくいものです。
 例えば、子どもが友達に意地悪をしていたということが分かった時、
「うちの子がなんてことをするんだ。これまでそんな子どもに育ててきた覚えはない。」
と思いますよね。
 でも、そこで、子どものしている意地悪というものの実態。いつ、どんなときに、何度、そういう言動をしたのか・・・と、考えていくのです。もちろんその事実を確かめるために、本人からの話、友達の保護者からの話をよく聞いて、学校に行っているならば、担任の先生から事実を教えてもらうなどして、実態を把握します。
 そして、なぜ我が子はそういうことをしたのかということを考えていきます。そうすると、叱る方向が少し見えてくるものです。
 子どもは問題行動を起こすものです。親の願いとかけ離れたことをするものです。

 昔、低学年で意地悪なことをよくする子どもがいました。お母さんと二人で話していた時、
「どうしてあんな意地悪な子どもに育ってしまったのでしょうか。うちでは、そういうことはいけないと言い続けてきたのに・・・。」
と悩んでおられました。
 僕は、その子の書いた作文を読みました。そこには、
「私はお母さんに嫌われている。私は家にいるのがしんどい。」
ということが書かれていました。
 その子は3兄弟の真ん中で、お姉さんはどこか頼りなさげで、手をかけてあげないといけない雰囲気がありました。弟はまだ幼くて、手のかかるときでした。その子はしっかりもので、なんでも自分でちゃんとできるものですから、お母さんはその子に手をかける必要がなくて、お姉さんと弟にばかり目が行っていたのですね。
 僕の話をお母さんは涙を流しながら、それをぬぐおうともせずに、聞いていました。そして、
「まだ間に合いますか?」
と聞いてこられました。
「親子なんですよ。いつでも取り返せます。二人だけでの時間を意識して作ってください。散歩でも買い物でもいいです。あの子に、『あなたに任せると安心だ。』と言って、仕事を頼んでください。」
と言いました。
 次の日、少し泣きはらした顔で、しかもとてもいい表情でその子は学校にやってきました。
「先生、お母さんと二人で一晩中話ししたんだ。ずっと抱っこしてもらって。二人とも、ずっと泣いていたんだよ。」
と言いました。
 それから、その子の意地悪は極端に減りました。
 原因に思い当ってそれをなくす努力をすれば、叱ることさえ必要なくなるんですね。

親力 30 叱る力

Posted By on 2022年3月10日

⑩ 叱る力
 叱ることは、親に必要な力だと思います。
「叱る」は、「怒る」とは全く違った概念です。
多くの親は、子どもの問題行動に出会ったら、かっとなって怒ります。怒っているうちに、どんどん自分でエスカレートしてしまう人もいます。怒るというのは、感情を子どもにぶつけているだけの行為なのです。
子どもはそれに対して、黙って服従するか、反発してケンカになるか、どちらかを選ぶしかできません。
黙って服従する場合は、親の言葉は耳には届いていても、心までには届きません。心に蓋をして、黙って台風の通り過ぎるのを待っているような状態になります。親に反発する気持ちがあっても、反論しません。親と子どもという圧倒的な力関係においての相手からの怒りの言葉ですから、従わざるを得ないのです。
反発してケンカになる場合は、だいたい自分の言い分を聞いてもらえないで、ただ怒られただけという場合に生じます。親の権威でねじ伏せられる間はそれで通用しますが、子どもが大きくなってきて、力関係が交代するようになってくると、もう通じません。親はパワーでねじふせる解決法を示してきたのだから、子どもも同じようにすることでしょう。
いずれの場合でも。子どもが自分で問題行動をふり返り、反省する機会は持てなくなります。
つまり、怒ってしまったら、教育にはならないということなのです。
叱ることができるようになりたいものです。叱ることには、ステップがあると思っています。