多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

「フラットな会」東風の会 ③

Posted By on 2014年12月11日

学校でもやもやしてしんどいときに、

東風の会へ行くと、なんだかすっきりとして、

やる気が出たものだった。

学校では、くだらない事ばかりがあって、

まじめに考えている自分がばかばかしくなることも多かった。

そんなときに、東風の会へ行き、

岡田崇先生を始めとする先生方の話をうかがうと、

いつも、はっとさせられたものだ。

東風の会は、みんながフラットに話し合う。

どなたかがおっしゃったら、皆が黙ってしまうということがなかった。

誰でも対等に発言できた。

それが、僕のようなアウトロー的な人間には、ぴったりとはまった。

岡田先生のおっしゃる意見に対してさえ、

「いや、先生、それはちがうと思いますよ。・・・」

と、さまざまな意見が飛び出してくる。

一つの意見に集約することもなく、自由に意見を出し合う。

そういう会だから、僕が続けられたのだと思う。

今は、ちょっとそういう雰囲気ではなくなってきていて、

「文科省がこう言っているから、そのようにするべきだ。」

とか、

「神戸市教育委員会ではこういう言葉を使ってるから、

その言葉を使うべきだ。」

というような意見がまかり通ってしまう。

僕は、だれが言うからではなく、

何が正しいのかと考えたいなあ。

 

「基礎基本を」東風の会 ②

Posted By on 2014年12月11日

初めて東風の会で提案したのは、夏の合宿だった。

三年生の説明文「ミツバチのダンス」から

いろいろな昆虫を調べて新聞を作ってまとめるという学習。

考えてみれば、「単元を貫く言語活動」をしていたわけだ。

今から思えば、顔から火が出るような恥ずかしい実践提案だった。

でも、概ね、好意的なご意見をいただいた。

ただ、岡本寿先生だけが、

「若いうちは、基礎基本のことをした方がいいですよ。」

と、おっしゃった。

自信家の僕は、正直、反発した。

子どもが生き生きと活動しているのに、

なんでそんなことおっしゃるんだろうと思った。

しかし、今、僕は、若い先生たちに

「若いうちは、基礎基本のことをしなさい。」

と教える。

そのことの意味が、今だからこそ、分かる。

若いときは、見えてないんだよね。

今の人たちは、きっと当時の僕よりもずっといろんなことを分かっているんだろうなあと

思うことがある。

うらやましい。

それでも、子どもの見方、教材研究の仕方など、

基礎基本は必要だと思っている。

 

東風の会

Posted By on 2014年12月9日

教師二年目から東風の会に入れて頂いた。

すごい先生達が集まる会で、少々の実践では入れてもらえない会に

なぜか、たまたま、僕も入れていただいた。

 

初日は緊張して、何が何か分からなかった。

高原先生が、

「多賀君、岡田崇先生は怖いんやで。

僕は、初日に、意見を求められて

『僕は聞かせて頂いているだけで勉強になりました。』

って言ったら、

『帰れ。ここは、出し合うとこや。人の考えだけ聞いて帰ろうなんて考えのものは、

来なくていい。』

と、叱られた。」

というのを聞いて、さらにびびってしまった。

「つづくかなあ」

というのが、本音だった。

昆陽里の公開研究会

Posted By on 2014年12月8日

昆陽里小学校の公開研究会が

1月28日にある。

授業公開、3本。

体育、理科、国語と、さまざま。

ここの子どもたちは聞くことができる。

聞き合う習慣も持っている。

後少しで、学校の文化になろうとしている。

ぜひ、その姿を見に来てほしい。

こんな学校、なかなかないよ。

 

僕も1時間ほど、「子どもの受け止め方~荒れに対応する~」の講演をする。

申し込みは、昆陽里庄学校  FAX 072-783-7578

問い合わせも。 垣尾教頭へ        TEL 072-779-4183

昆陽里小学校

Posted By on 2014年12月7日

伊丹市の昆陽里小学校。

うかがうようになって、4年目になる。

3日は、授業とファシグラの話、詩についての話をさせていただいた。

 

授業は楽しい。

この学校の子どもたちは、聞くかまえがあるから

とても授業がやりやすい。

いろいろ想定外があったが、

それが授業の面白いところだ。

子どもたちとのやり取りは、本当に楽しい。

 

女子が途中から発表しにくくなった。

書いているのは分かっていたが、

無理にあてて、追い込むことになったらイヤなので、やめた。

担任だと、子どものことが分かっているから、

どこまでは追い込んでも大丈夫という限度が分かる。

さらに、泣き出したり、フリーズしたりしても、

後でいくらでもフォローができる。

しかし、僕は、その1時間しかない。

楽しかったという気持ちたけを大切にしたかった。

 

僕も楽しかったで、終われたし、

担任の先生が

「子どもたちの別の面が観られて良かった。」

と言ってくださった。

それなら、僕の仕事は、オーケーかな。

 

 

「想像に対する質問に答えることはできません。」

Posted By on 2014年12月6日

最近、映画の話題が多いが、

幼いころから、母は僕を映画館によく連れて行った。

チャップリンの「モダンタイムス」は、よく覚えている。

当時、映画は最大の娯楽だった。

その中で、とても心に残っている言葉が

「想像に対する質問に答えることはできません。」

というものだ。

なんの映画だったかは、全く覚えていない。

何かの映画のラストシーンだった。

女性が(女優が誰だったかも覚えていない)去り際に残した

捨て台詞のような言葉だった。

神戸三宮に昔あった、ビック映劇という映画館だったことは、よく覚えている。

 

メディア・リテラシー

Posted By on 2014年12月5日

メディア・リテラシーが必要なのは、子ども達だけではない。

 

「今の先生たちは、昔の先生の数倍の速さと量の情報を簡単に手に入れられるから

とても我々がおよばないような、凄い実践ができるだろう。」

という声を聞くときがある。

そうかも知れないと思うこともないではないが、

でも、情報をたくさん手に入れても、全く意味のない若手もいる。

情報を手に入れることが目的化している人たちだ。

 

豚肉を食べたらブタ鼻になるわけではない。

マグロを食べたら、凄いスピードで泳ぎ回れるわけでもない。

かしわを食べても羽は生えてこない。

全て、体の中で消化されて、自分の血肉に変わっていくのだ。

 

それと同じで、手に入れた情報は、

自分の中で取捨選択されて必要なものだけが取り入れられ

自分の実践として形を持ったときに

初めて意味を成す。

それがメディア・リテラシーの根本ではないだろうか。

やみくもにありとあらゆる情報を全て吸収しようとするのは、いかがなものかなあ。

 

わすれられない映画体験

Posted By on 2014年12月4日

高校の時に「ロミオとジュリエット」を観に行った。

布施明と結婚したオリビア・ハッシーの処女作。

映画のプロットはシェイクスピアそのままだから、

大した映画ではなかった。

圧倒的にオリビア・ハッシーが美しかっただけ。

ところが、映画のクライマックスが台無し。

僕の後ろに座っていた女性が感激のあまり、泣きだしてしまったから。

その泣き方が、例の西宮市議の号泣会見のような泣き方だったので、

うるさくてうるさくて・・・。

「うわーん。ひっくひっく。びぇーん。」

ともかく、そんな感じだった。

全然楽しめなかったことだけを覚えている。

 

徳山のセミナーは楽しかった

Posted By on 2014年12月3日

セミナーはこぢんまりとした感じで

とても話しやすかった。

講演講座は、参加者と一緒に作られる。

反応がいいと、気合いが入って、質も上がるような気がする。

手抜きしたことは、一度もないけどね。

僕みたいなカリスマでも何でもない、ただ、実践を語るだけの教師が

手抜きしたら、目も当てられないけど。

 

懇親会は、5人だったけど、

ともかく中村健一さんとたくさん話した。

彼は、聞くばかりのセミナーだったから、しゃべりたくてうずうずしていたみたい。笑

しんどい学校で苦労している【そう見えないけど】から、

彼の言葉には、重みがある。

彼はきれいごとは言わない。

でも、ものすごく教師たちに優しい。

僕よりも、言い方はきついが、優しい。

僕は、子どもを潰す人は、教壇から去ってほしいと思っている。

そこは、厳しい。

健ちゃんは、まるごと優しい。

「もがくこと、あがくことで、世界は広がってゆくんだ。」

Posted By on 2014年12月2日

安井小学校での図書の講演で、先生方に出した問題の一つがこれ。

「妖怪アパートの優雅な日常」から。

①昔からの行商人の格好をしているのは、だれかな?

②身体が無くて、手だけなのに、おいしい料理をだしてくれるのは、だれかな?

③次のような言葉を言って、ぐっとさせるのは、だれかな?

「もがくこと、あがくことで、世界は広がってゆくんだ。」

「すぐに答えが出ないこともある。」

答えは、本を読めば分かるから、ここには書かないが、

大事なのは、最後の二つの言葉である。

本は、主題を読み取るために読むわけではない。

さまざまな読書体験をするということなのだ。

その中で、何かの言葉にぐっときて、

それが自分の人生に影響を与えるということがある。

「もがくこと、あがくことで、世界は広がってゆくんだ。」

「すぐに答えが出ないこともある。」

という言葉には、もがいている、あがいている人間への強いメッセージがある。