Posted By taga on 2014年12月30日
佳子さんの話をしているとする。
「これは、佳子には内緒だよ。」
と言う話になった。
Aさんは、もちろん佳子には内緒にした。
でも、多佳子さんには、その内容を言ってしまった。
多佳子さんと佳子さんが親友だということは、みんなが知っている。
ところが、A子さんは、その二人の関係性を考えて判断ができないので、言ってしまった。
こういう子どもは、だんだんと年齢が上がるに連れて、
KYとしてみんなが離れていってしまう。
高学年になると、こういう「空気」の読みがないと、
疎外される要因になる。
悲しいことだ。
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「関係性」がつかめない -教室の「あの子」⑧- はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2014年12月29日
会話では、人は省略して話す。
「はい、これ。」と言って、差し出されたプリントの束。
「みんなに配って下さい。」とわざわざ言わなくても、
「先生はみんなに配れって言っているんだな。」と
省略部分を理解するのが一般的です。
でも、そうじゃない子どもがいる。
「4年生になったんだから、
それくらいは、言わなくても分かるだろう。」
という思い込みが教師にはある。
きちんと言葉にしてていねいに伝えること。
「みんなに一枚ずつ配って下さい。」
と、言わなければならない。
その子に「空気よめよ。」と言ってみんなで笑うのは、最悪。
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「省略」がわからない子どももいる-教室の「あの子」⑦- はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2014年12月28日
「空気を読め」と言ったときの「空気」って、なんだろうか。
明確に答えることができるだろうか。
その曖昧なものを、なんとなく分かっている人たちが
なんとなくは、わからない人たちに、「分かりなさい」と、強制している。
それが、「空気を読め」ということの本質だと、僕は思う。
その「空気」とは、いろんなことが含まれていて、重なり合っている。
・ 「文脈」という魔物
話にも、文章にも、文脈とか「流れ」というものがあって、それにのっとって
人は会話をしたり、相手の言うことを推測したりする。
この「流れ」がわかりにくいと、空気が読めないということになる。
たとえば、「ないものは、ない」と言ったときに、
「オタクには、なんでもそろっているそうですね。」
に対して、「ないものはないですよ。」と言ったら、どういう意味か。
「ある」という意味である。
一方、「オタクに、僕の財布ありませんか」としつこく聞かれて
「ないものは、ない。」と言ったら、「絶対にない」という意味になる。
「言葉だけでは理解できなくて、文脈」を読まないと、理解できないということだ。
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「空気」って、何? -教室の「あの子」⑥- はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2014年12月27日
四月のスタートに備えよう
「低学年の学級・授業づくりセミナー」
セミナーに多数参加していて、講師が語る『子どもの姿』が、どうも高学年中心ではないかと感じることは多いのです。小学校は、低学年と高学年では全然子どもが違っています。一年生と六年生が同じ学級づくり、同じ授業づくりのプロットでいけるはずがありません。
そこで、多賀と桔梗と二人で低学年(1~3年生)に特化したセミナーを開いて、低学年の学級づくり・授業づくりを考える場の提供を企画しました。
低学年の子どものことだけに絞って考えてみる機会になれば、うれしいものです。
日 時 2015年3月21日(土)13時15分~16時55分 [13時 開場]
場 所 兵庫県私学会館(神戸市中央区北長狭通4丁目3-18)
1階 078-331-6623
アクセス
JR元町東口から徒歩2分 阪神元町駅から徒歩3分
阪急花隈駅から徒歩7分 地下鉄県庁前駅から徒歩3分
時間帯 13時 開場 13時15分 開会
13時15分~14時05分
多賀 一郎 講座 「一年生の学級・授業づくり」
14時10分~15時00分
桔梗 友行 講座「二年生の学級・授業づくり」
15時10分~15時55分
多賀 一郎 講座 「三年生の学級づくり」
16時00分~16時55分
桔梗 友行講座 「三年生の授業づくり」
費 用 3,000円 事前に下記の通りお申し込みの上、当日受付にてお支払下さい。
参 加 定員30名
講師 桔梗 友行 西宮市立小学校
1977年、宮城県生まれ。神戸大学大学院修了後、兵庫県の公立小学校教諭として勤務。子どもの「元気」と「根気」と「本気」を育てる湧氣教育を実践中。ユニット授業や『学び合い』などに取り組む。阪神教育サークル「楽笑」、神戸学力研「おもちゃばこ」に所属。「学び合う会 in 神戸」主宰。著書に「子どもの力を引き出す 新しい発問テクニック」「朝の会・帰りの会 基本とアイデア184」(ナツメ社)がある。
■ 懇親会
費用は、4000円程度 定員 10名
◆ 申し込み
コクチーズから、登録お願いします。
http://kokucheese.com/event/index/232752/
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四月のスタートに備えよう 「低学年の学級・授業づくりセミナー」 はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2014年12月26日
考えてみたら、当たり前の事なのだが、
落ち着き先を探して立ち歩き、動き出した子どもに向かって、
「座りなさい。」「何やっているの。」と、叱責することは、
どう考えても逆効果だ。
昔の先生は、それでも、怒鳴ったり叱ったりという指導でいけた。
僕も、そうやっていた。
今は、どの子に対しても、一律に厳しく叱責することでは解決しない。
ただ、落ち着かない子どもに対して、叱責が通用するときもある。
それは、子どもとの関係性だ。
関係性の深い相手に対しては、子どもは愛情を感じている。
愛があれば怒鳴っていいなんてことは、決してないが、
関係性においては、厳しさの通用するときがある。
以前勤めていた学校が東京の武蔵野学園と交流があった。
そこは、オーティズムの子どもとそうではない子ども達とが、
一緒に通うという私立小学校。
そこを参観してきた教師の中に、
武蔵野の先生方がけっこう子どもを厳しくしかっているのを見てきて、
「やっぱり厳しくしかった方がいいのだと分かった」
なんて言った人がいる。
バカじゃなかろか、と思った。
そういう発想に立って、ちょっとオーティズムとして問題になっていた子どもに対して、
担任でもないのに、びしばし厳しく叱った。
ちがうでしょ。そんな短絡的な話じゃない。
武蔵野の先生方が子どもを叱責するときには、
そこまでの関係性というものをもちゃんと踏まえている。
それが、見えなかったんだろうね。
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叱責は逆効果 -教室の「あの子」⑤- はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2014年12月25日
僕の通知表には、著書にも書いているが、本当に毎年、
「落ち着きがない」
と、書かれていた。
よほど落ち着きがない限り、こんなことは書かれないだろうに。
三学期になると、
「かなり落ち着いてきました」
となる。でも、次の年の1学期には、また
「落ち着きがない」。
たぶん、担任が慣れてくるだけだったんだろう。
今思えば、教室で落ち着きがないと言われている子どもたちに、
僕は近かったのではないだろうかと思う。
幼児期に、児童相談所へ連れて行かれた。
なぜ、そこへ連れて行かれたか。そのことが、問題である。
「ずっとおしゃべりをして、おしゃべりがとまらない」
からだそうだ。
小学校当時を振り返ると、僕自身は落ち着きがないという感覚は全くなかった。
自然にふるまっていただけだと思う。
ただし、授業中がとてもつまらなくて、退屈して、いろんなことをしていた。
授業に集中したという記憶は全くなかった。
常に鉛筆の後ろをかんでいて、ぼろぼろ。
教科書のはしっこをちぎって食べる癖も、ひどかった。
それは、家でも同じ。
僕の古い本は、ほとんど端っこが破れている。
神経症だったのだろう。貧乏ゆすりもよくしていた。
二年生の担任からは、
「私はこの子の面倒は見られません。」
と、言われたそうだ。
母は、どういう気持ちで聞いていたのだろうか。
「落ち着きがない」「ちょろちょろしている」「一言、多い」
というのが、大人が僕を評するときによく使う言葉だった。
今だと、「多動」だとか「AD/HD」だとか、言われるのだろうか。
そういうように呼ばれる子どもたちの中に、
僕の子ども時代を彷彿とさせる子どもたちが、たくさんいる。
すぐに机に上がったり、ずうっと何かの手作業をし続ける子。
今やっているものを取り上げても、再び何かを始めてしまう子。
授業には、全く参加していないと言うこともなく、時々参加してくる子。
いるでしょぅ、こういう子どもたち。
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僕の話 -教室の「あの子」④― はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2014年12月24日
グレーゾーンだとか、発達障碍だとかの線引きは、関係なく、
教室にいる子どもたち一人一人を
読み解いていくという感じが必要なのではないか。
子ども達は、いつの場合でも、家族等の環境でその年齢まで育ってきている。
そして、彼らの今は、その続きでしか、あり得ないわけで。
その子独特の流れというか、育ってきたリズムや成り立ちみたいなものが、
混在しているものなのだ。
アスペルガーだと言われた子どもが、
全て同じような言動を持つわけではない。
家庭での生活によって、表に現れてくる状態は、全て変わる。
学校というところは、そういうばらばらな子どもの状態なのに、
画一的に指導が入るところだ。
だから、難しい。
画一的になると、子どもたちのことは、読み解けなくなる。
そして、読み解くだけではなくて、
子どもが自分で自分の人生を紡いでいくには
どうしたらいいかということを考えるのが、教育の基本だ。
教師は子どもが自分で紡ぐ手伝いしかできない。
僕はそう考えている。
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子どもを読み解くことを考えたい―教室の「あの子」③― はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2014年12月23日
家内が図書館ボランティアに行っていて、
そこで、
おばあさんたちが話していたこと。
「発達障碍って、最近多いでしょ。
あれって、親のしつけができないことをそういってごまかしているんじゃないの。」
こういうとらえ方をしている人たちもいるのが現実だ。
こういう考えはダメだとか言うのではなくて、
そんな考えもあることをオープンにして話していかないといけないと思う。
ちょっとでも発達障碍について否定的な言い方をしたら糾弾されるようでは、
まともな議論は広がっていかない。
教室の「あの子」について、
知識の有る無しに関わらず考えていくことが必要だ。
ともかく、専門にやっていない人たち、
特に教師に、いろいろなことに気づいてもらうだけで、
意義はあるのだと思う。
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知識を広めていくためには、オープンな議論を―教室の「あの子」②― はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2014年12月22日
東京で開いた「教室のあの子を考える」シンポジウム。
実は、このことからは、撤退した方が良いのではないかと、
神戸でのシンポジウムの後、ずっと思っていた。
しかし、今回、知らないうちに代表にさせられ、
他の先生が30分しかないのに僕だけ1時間の時間を渡され、
1時間半ものシンポジウムのコーディネイトを丸投げされ、
けっこう頭をフル回転させたので、
得るものが多かった。
まず、フロアーの思いを拾い上げてのパネラーの意見の出し合いは、
魅力的なものだった。
いろいろなことが引き出されていく。
こういう時間は、絶対に必要だと思った。
参加者が教師だけではないことも、特徴的。
しかも、特別支援をしているわけではない教師が来て
子どもへの見方のヒントを持って帰って下さったことにも意義がある。
懇親会等で、いろんな方々がつながるのも、
このシンポジウムの良いところだ。
神戸の会でも、僕の知り合いの方々がつながって
それぞれがご自分の活動へのプラスにできていたようだ。
13日の会でも、たくさん「つながる」「つなげる」という言葉が出た。
子どもと教師が、教師と保護者が
地域と子どもの将来が、
親の思いと教師の思いが、
大人同士が、
つながるべきだと。
「つながる」は、大きなキーワードになった。
僕の立ち位置、僕がこの立場でしていけることが、少し出てきたように思う。
もう少し、続けていく意味はあるかなと、
今は考えている。
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教室の「あの子」を考える はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2014年12月21日
二月の末に、ロケットスタートの三部作が出る。
チーム・ロケットということで、
スペシャリストに依頼して、
それぞれに、一年を見通したロケットスタートの原稿を書いてもらった。
なるほど。
こんな本になるんだね、得意分野で書いてもらうと。
「この分野なら、この先生だな」
と、思える方に書いていただいただけのことはある。
小学校教師って、それぞれ得意分野がある。
人間みんな凸凹があるんだけど、
その凸だけを集めたわけだから、質が高い。
自画自賛!
すごい本だ!!
みなさん、お楽しみに。
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すごい本になった はコメントを受け付けていません
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