多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

1/2成人式はなんのためにするのか

Posted By on 2015年1月20日

最近の流行りで、
1/2成人式を4年生でするところが多い。
では、聞きたいが、
1/2成人式って、子どもにとってなんの意味があるのかな。

ここまで育ててもらったことに感謝とかは無しだ。
9歳ではだめなのか。
卒業のときにそう思うことじゃないのか。
こどもたちに、なぜするのかっを、どう説明するのか。

成人式は大きな意味がある。
法的に成人なのだから、
社会的な責任と自覚を持たねばならない。
選挙権だってもらえる。

小学校4年生には、なんの責任と自覚があるのだろうか。

それに答えられるようでなければ、
子どもたちに納得つくプレゼンができなければ、
1/2成人式など、している意味はない。

語るということ

Posted By on 2015年1月19日

土日と、何人かの方たちとコアな話をした。
考え方やスタンスは違っている。
そういう方々と語るということが、
自分の考えを整理したり、新たな発見をしたりすることにつながる。

ぼくは、本当は懇親会のような大勢でわいわいすることは、好きではない。
個人的に申し込む会では懇親会に不参加にするのも、そのせいだ。
セミナーに参加したら、ぼくは自分一人で振り返っていたい。

でも、人と語ることは好きだ。

人は語ることが大切だ。

教師教育の話をたくさんできた。
教師教育の会に若い先生がたくさん参加していることに、ぼくは疑問を持っている。
どんなことを自分の柱にしていくかは個人の自由だから、文句をつけているのではない。
しかし、教師教育を受ける立場の人たちが教師教育を学ぶことにいかほどの意義があるのか、理解できない。
子どもたちにどうしていくのかということに、つながるのだろうか。

実際に教師教育を生業にしているぼくには、全く理解が出来ない。
そんなことを考えた。

四月のスタートに備えよう 「低学年の学級・授業づくりセミナー」

Posted By on 2015年1月18日

四月のスタートに備えよう

「低学年の学級・授業づくりセミナー」

セミナーに多数参加していて、講師が語る『子どもの姿』が、どうも高学年中心ではないかと感じることは多いのです。小学校は、低学年と高学年では全然子どもが違っています。一年生と六年生が同じ学級づくり、同じ授業づくりのプロットでいけるはずがありません。

そこで、多賀と桔梗と二人で低学年(1~3年生)に特化したセミナーを開いて、低学年の学級づくり・授業づくりを考える場の提供を企画しました。

低学年の子どものことだけに絞って考えてみる機会になれば、うれしいものです。

日 時 2015321日(土)13時15分~16時55分 [13時 開場]

場 所 兵庫県私学会館(神戸市中央区北長狭通4丁目3-18)

1階  078-331-6623

アクセス

JR元町東口から徒歩2分  阪神元町駅から徒歩3分

阪急花隈駅から徒歩7分   地下鉄県庁前駅から徒歩3分

時間帯 13時 開場 1315分 開会

1315分~1405

多賀 一郎 講座 「一年生の学級・授業づくり

1410分~1500

桔梗 友行 講座「二年生の学級・授業づくり

1510分~1555

多賀 一郎 講座 「三年生の学級づくり」

1600分~1655

桔梗 友行講座 「三年生の授業づくり」

費 用 3,000円 事前に下記の通りお申し込みの上、当日受付にてお支払下さい。

参 加 定員30

講師 桔梗 友行  西宮市立小学校

1977年、宮城県生まれ。神戸大学大学院修了後、兵庫県の公立小学校教諭として勤務。子どもの「元気」と「根気」と「本気」を育てる湧氣教育を実践中。ユニット授業や『学び合い』などに取り組む。阪神教育サークル「楽笑」、神戸学力研「おもちゃばこ」に所属。「学び合う会 in 神戸」主宰。著書に「子どもの力を引き出す 新しい発問テクニック」「朝の会・帰りの会 基本とアイデア184」(ナツメ社)がある。

■ 懇親会

費用は、4000円程度 定員 10名

◆ 申し込み

コクチーズから、登録お願いします。

http://kokucheese.com/event/index/232752/

 

記録し続けること

Posted By on 2015年1月16日

西宮の若い先生がうちにきて
5時間くらい話して帰った。
これから気をつけるべきこと。
教材研究。
授業を短時間で仕組むこと。
絵本の読み聞かせ。等々・・・
帰るときに
「明日から子どもたちのことがワクワクしてきました。」
と言った。
そういう言葉が、ぼくの力になる。

ところで、ぼくが夏に話した子どもとの関わりの記録を
ノートにびっしりと書いていた。
ぼくよりもずっとていねいに。
「ほんとに、話しているつもりだったのに、記録してみると、全然話していない子どものいることが分かりました。」
実際に実践すると、話していたことの意味が分かってくる。
これが学ぶということ。
「話していなかった子どもに無理矢理にでも声かけて
話しかけたんです。そしたら、最初は『ふん』って態度だったんですが、
そのうち、向こうから挨拶するようになってくれました。
『ああ、これなんだな』って思いました。」

実践したことからしか出ない言葉だ。
講師の話をノートに書いて、サイトでアップして、それで「学びました」と言っている輩とは違う。
全て、子どもを通してこそ、学びになるということだ。

自分で考えるということ

Posted By on 2015年1月15日

僕はめんどうくさがりやだから
自分で考えるようになったのかも知れない。
人に尋ねるのがめんどう。
調べるのがめんどう。
自分で考える方がずっと楽。
なんの準備もいらない。
頭が起きていれば、いろんなことができる。

高校の時、夏休みに調べてきたことを授業中に発表していくという地理の授業があった。
40年以上も前だから、今のようにプレゼンーションを小学校で経験してきたわけではない。
調べものは足でかせぐ時代だ。
ネットで調べることができない。
友人達は、わざわざ文部省【今は文科省】にまで行ったり、
地方を回って役所に聞いてきたりしていた。

僕は発表の前日までなんにもしていなかった。
ほんと、おさぼりさんだった。
友人達はそのことを知っていたので
「お前、どうすんねん。」
と、心配というか呆れていた。
前日僕は、帝国書院の地図帳を取り出して、横浜市と神戸市を見比べて
共通点と相違点を適当に考えてまとめ、それを次の日に発表した。
友人達は僕のいいかげんさに呆れてバカにさえしていた。

ところが、発表の後の先生の高評では、すばらしいと絶賛された。
今まで、発表の穴をついては、ぼろくそに言う先生だったから、クラス全員が唖然とした。
先生が言われたのは、
「今までの提案は全て借りてきたことを写して話しているだけだ。
多賀君の提案は、自分で考えてきた。そこが素晴らしい。」
ということ。

僕はそこで自分で考えることって、なんて楽に評価してもらえることなんだろうということを学んだ。

被災地のかたはらにあって

Posted By on 2015年1月14日

この時期は阪神大震災の特集が組まれる。
20年目だから、特別な思いがある。
たまたまそのときに作文の本をだすことになったのも
何かの縁かも知れない。

震災のことだけ書いた本ではない。
子どもたちとどうつながっていくのか、
教師としての根本を考えるつもりで書いた。

震災で学んだいくつかのこと。
それが、その後の自分の20年につながっている。

学級は雑木林だ

Posted By on 2015年1月13日

石川晋さんとの対談でも一致したことなんだけど、
学級というのは、
さまざまな植物が共生する雑木林みたいなものだ。
雑木林は、バランスで成立している。
落葉樹は、土を肥やし、
下草は、木漏れ日で育つ。
ほどよい距離感でさまざまな植物たちが共生している。
お互いが無駄なことなど何一つ無く影響し合っている。

学級と同じだなと思う。

そして、それをぶちこわしてしまうのが、人間【大人】であることも、よく似ている。

年齢は磨きをかけるもの

Posted By on 2015年1月12日

東京からわざわざ神戸のセミナーに
一人の先生がきて下さる。
新採用になる方だ。
48で資格をとられて、講師をしながら試験を受けて
4月から晴れて教壇に立たれるそうだ、
言葉が出ないほど、強い衝撃を受けた。
わざわざ僕のところにまで来て下さるということに、大きな責任を感じる。
この方も、若手だ。
若さは年齢だけではないんだなあ。

いつまでも向上し続けるという意識はいつも持っているが、
ついつい現状に満足してしまう自分がいた。
新年早々、そうじゃないなと、もっとがむしゃらにやらなきゃなと、
そんな思いを強くした。

「年齢は醜くなることではなく、磨きをかけて輝くことだ」
とは、神戸新聞の朝刊で見つけた言葉。
もっともっと自分を磨いていきたい。

-教室の「あの子」⑮-

Posted By on 2015年1月11日

発達障碍のある子どもたち、
途中まで家でも気づかれなかったオーティズムの子どもたち
についての相談にのるときがある。
進学や就労など、将来への不安も大きいが、
最大の問題はそこではない。

多くの子どもが、いじめに遭っている。
それが原因で不登校に陥った例もある。
家で暴れることにもなる。
いったん、いじめのスパイラルに入り込むと、なかなか抜けられない。

いじめのトラウマを持つと、ちょっとした言葉が、全ていじめになってしまう。
「おい、早くしろよ。」
「あほか、お前」
そんな言葉は、親しい友人同士なら笑ってすむことでも、
いじめスパイラルに陥った子どもには、辛辣な攻撃へと変わる。
グレーゾーンの子どもたちは、
・ 周りとうまく合わせられない
・ コミュニケーションがとりにくい
・ こだわりが強い
・ 相手の気持ちが分かりにくい
のだから、構造的ないじめが発生しやすい。

だからこそ、教師が心がけて観察していかなければならないのだ。
放っておいたら、必ずいつかいじめにつながっていく。
「ちょっと変わった子ども」は、ターゲットになりやすい。
それは、残念ながら、動物の本能でもある。
でも、我々は人間なのだから、動物の本能を越えて、
人間らしい生き方を考えていかなければならない。

教師は、学校での人としての砦にならなくてはならない。

ちょっと言葉も考えてみよう -教室の「あの子」⑭-

Posted By on 2015年1月10日

自己肯定感を打ち砕く言葉というものがある。

①「ちゃんとしなさい」という言葉は、大した言葉ではないようにみえるが
なにが「ちゃんと」なのか分からなければ、
とても理不尽なことをいわれているように感じるものだ。
「ちゃんと」とは、曖昧な言葉。
でも、多くの子どもたちは、それでも「この教師は何が言いたいんだろう」と推察して、
なんとかそれに合わせようとしてくる。
でも、全く分かりにくい子どもたちがいる。
この子たちから見ると、教師の言葉は異国の言葉に感じるだろう。

② どうして話も聞かずに関係ないことをしているの?
ということを教師は言う。
問題なのは、「関係ないこと」という表現。
教師はよく使う、この言葉を。
僕も使ってきた、自戒を込めて言っている。
これは独りよがりの言葉。
従来の教室では、ずっとこういう発想で授業が行われてきた。
そして、成果も上がっていた。
子どもたちに教師の課題へ向かわせるために使う言葉が、この言葉。
授業中に関係ないことをしている子どもには
「関係ない」という認識そのものがない場合がある。
つまり、関係がないからということが、自分のしていることを止める理由にならないわけだ。
「関係ないから、してはいけない」という理屈そのものが通じないのです。
言葉の意味が通じないのだから、し続ける。
そして、何度も叱られて、自己肯定感を下げていくことになる。
理由もなく叱られているのだから。

③ そして、「何回いえば分かるのか」という完全に子どもを否定した言葉。
この言葉は、ご家庭でお母さん方が、子どもたちによく使う言葉。
思いっきり子どもを否定する言葉でもある。
まず教師が考えておかねばならないのは、
何回もいうことで、少しずつできるようになる子どもがいるということ。

こんな言葉を使わなければ、いいんですね。
言っても、子どもが大きく変化することもないのだから。