Posted By taga on 2015年8月14日
毎年、一年間の実践を持ち寄って語り合う。
ただそれだけの会が
36年も続いている。
神戸大学と京都大学で全教ゼミにレポートを持っていったメンバー。
僕が忙しすぎて今年はお盆の時期になったけれど、
それでも4人がそろって一日中語り合う。
この会に何度助けられてきただろう。
コンディションはそれぞれ年によって違う。
自分がだめだめなときに
友人の実践がお尻を押してくれることもあった。
全く構えることもなく
お互いを信頼しきって、思うままに語る。
こんな会は決して作れない。
「全員が現場を離れたら、どうするかなあ」
「そのときは、毎年、みんなで温泉に行こう。」
そんな会話が今年は出た。
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Posted By taga on 2015年8月13日
もう30年も経つ、日航機墜落事故。
僕の教え子の関係者も何人か犠牲者に含まれている。
金曜日、しかも、お盆直前の便には
単身赴任から帰って来られるお父さんたちも沢山乗っていた。
合掌。
遺体はひどい状態で、
判別しにくいものであったらしい。
遺族はなんとかして遺体を見つけようとした。
東北の津波でも同じことだが、
遺体がなければ、亡くなったことを
心に入れることができない。
最期の別れができない。
だから、人は遺体を探す。
心の中にその人を入れて偲ぶには、
残酷な言い方だが遺体が必要なのだ。
お父さんを亡くした幼稚園児が飛行機が飛ぶのを見ながら
「ばかあーー」
と叫んでいたことを忘れない。
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Posted By taga on 2015年8月12日
十日町で、石川晋、堀裕嗣と一緒に2日間のセミナー。
三人でたくさん話して思ったのは
みんな、進化しているということ。
数年前に語っていたことは、もう自分たちの中では過去のことになっている。
もちろん考えがころころと変わっていくのではなくて、
次々に新しい課題が出てくるということだ。
無理矢理探しているわけでもない。
どんどん前に現れるという感じだ。
それは新しもの探しでもない。
温故知新でもある。
人間の体もずっと入れ替わってリニューアルしていっている。
頭もリニューアルしなくては。
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Posted By taga on 2015年8月10日
夜にピンポーンとチャイム。
家内が玄関に出ていって「ええーー」
と大声を出している。
しばらくしてもどってきたら、泣いている。
何事かと思ったら、
近所の方の訃報。
うちのワン子の父親に当たる犬の飼い主が亡くなられた。
毎朝のように顔を合わして話をしていた。
犬を通じての親戚みたいなもの。
明るい方だった。入退院を繰り返していらっしゃったが、
先日もお目にかかったばかりなのに・・・。
72歳。
ちょっと早い。
ご冥福をお祈りする。
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Posted By taga on 2015年8月9日
今日から、新潟の十日町。
石川晋さん、堀裕嗣さんと三人で。
三人で何かするのは、帯広以来かなあ。
授業もするし、話もするが、
100人以上の人がどう思おうとへいっちゃらだが、
この二人は、意識する。
すごくキレキレの刀を持っているのを知っているから。
「なんでも言って下さい。
勉強になります。」
なんて言えるほどの教師じゃないしね。
それでも、このメンバーだと、よけいな説明がいらないのがいい。
見事に相手の意図を受けて話すし、
勝手にどんどん話していくようなワガママなこともしない。
その辺は絶妙だ。
なんにもしんどいことはないんだけど、
彼らの視線は怖い。
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Posted By taga on 2015年8月8日
この会は独特のムードの会になる。
僕と八巻さんの語りが
一つの「場」を作っているのだと思う。
感想はいただいたけれども、
掲載の許可を取り忘れたので
載せられないのが、残念。
対談でも話題になったが、
結局は「個」なんだよね。
これは、初めて八巻さんと出会ったときに
「ああ、この方は同じところを見ているんだな」
と、意気投合した。
最近の僕は、ますます
学級よりも個人が大切だという意識が強くなっている。
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Posted By taga on 2015年8月7日
昨日一日で、
堀さんからプレッシャーかけられていた原稿を
8ページ×2本
それと、新しい本のプロットの立て直しを二編。
対談の初っぱなを1本。
『カレイドスコープの箱庭』海堂尊
を読み切りながらだから、
我ながらよくやっているなあ。
こういう自画自賛しながらでないと、
誰も褒めてくれないしね。
この夏はゆったりと物事ができていて、
去年のように追いまくられる感がない。
余裕があることは大事だなあ。
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Posted By taga on 2015年8月6日
『国語科授業づくりの深層』が増刷になったことは、
ハウツーではなく国語を考えようと思う先生達がいるということだから、
とても、うれしい。
続いて、堀さんと『学級づくりの深層』【仮題】を書いている。
いつものように、
「次は同調圧力で8ページね。」
「終わったから、今度は子ども理解を8ページ。」
というようなやり取りで書いている。
「授業づくりと学級づくり」という章の原稿、
二人の書いた物を並べてみると、
全く違うないようではあるが、同じキーワードを使っていることに驚く。
何も打ち合わせしていないのにだ。
それは「コミュニケーション」という言葉だ。
同じところに意識を持っているのだということだ。
時にはシンクロし、刺激を与え合いながら、
お互いの論を展開させていく。
だから、自画自賛だが、読み応えのある本に仕上がっていく。
楽しいから、続けられるのだ。
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Posted By taga on 2015年8月5日
いろいろな学校で若手の授業を参観する機会がある。
危ないと思われているクラスに入ることもある。
若い先生ならもの足りないところがあったり、子どもの扱いがまずかったりするのは当たり前だ。
僕はそんなところには問題を感じない。
なぜなら、彼らにはベテランにない若さの特権のようなものがあるからだ。
少々技術がまずくても、子どもたちは担任の若さに惹かれていく面があるのだ。
問題に思うのは、子どもの反応に関係なく淡々と予定通りに授業が進んでいる場合である。
そういう場合、先生は子どもをほとんど見ていない。
どんな表情で発言しているのかを見ていない。子どもと目線が合わないのだ。
これではコミュニケーションなど成立しようがない。
発言している子どもは、先生からなんの反応ももらえず、周りの子どもたちも無反応。
こんな授業が一年近く続いたら、子どもたちはもたないだろう。
僕と同い年の友人が縁あって同じ職場にやってきた。
図書室で授業をするので見るとはなく見ていたら、笑顔で子どもたちとやりとりをしている。
週に一度しか会わない子どもたちと授業でしっかりとコミュニケーションをとっている。
子どもたちも笑顔でそれに応じている。もともと子どもとのやりとりの得意な教師ではあった。
「さすがにうまいなあ」と感心してしまう。
よく一問一答ということが、下手な授業の代名詞としてやり玉にあがる。
僕は、社会科などでは、一問一答で80問くらい続ける授業を仕組むが、
一つ一つの一問一答が、一問多答に必ずなる。
子どもとのやりとりを大切にしていると、一問一答にはならないものだ。
一つの問いかけに対して、子どもが正しい答えを返したときに「はい、そうです」と、すぐに板書してしまうような授業ならば、
完全な一問一答になる。
「今の意見、みんなはどう考えるかな。」
と、子どもたちにもどせば、コミュニケーションになっていく。
それのできない教師が少なからずいる。
ネットなどでいろいろと調べてきて授業に持ち込んで楽しそうなものを演出する。
いろいろな教育の手法を教室に持ち込んで実践しているように見える。
しかし、実際には、子どもとのコミュニケーションのない授業しかできないため、
学級づくりもできなくなっていくのだ。
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Posted By taga on 2015年8月4日
中学から単身でイギリスへ留学していた教え子と出会う。
母親の心配を押し切って、渡航。
体の小さな子だったが、
驚くほど精悍になっていた。
ラグビーで鍛えているという。
相変わらず、大きな方ではないから、
本場イギリスで大男たちと張り合っているのは凄い。
いかにウイングとはいえ、
ラグビーは、がたいが関係する。
たくさん話をした。
45歳も下の人間だとは思えないような会話。
短期間に成長していく若者の姿がまぶしい。
「負けないぞ、僕も」
彼のことでは、3年生のときの遠泳への挑戦を思い出す。
ほとんど溺れているんじゃないかというような泳ぎ方で、
アップアップしながら、長い時間かけて泳いだ。
何度も辞めさせようと思ったが、
何か伝わってくるものがあって、止めなかった。
3キロを完泳するものも続出。
1キロ泳げば体育点がもらえる。
その中であきらめずに、500メートルを泳いだ。
何も到達していないし、
体育点も一点ももらえない。
でも、僕の遠泳の経験の中で、
これほど心に残っている泳ぎはない。
今でも思い出すと、胸が熱くなる。
大切なことは結果ではなくて過程だ
ということがよく言われる。
でも、そう言いながら、人は結果を見て物を言う。
彼こそが、過程の大切さを僕に教えてくれた体現者なのだ。
彼はそれほど思っていないと思うが
二人で話した3時間は、僕に力をくれた。
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