多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

瀬戸の親子国語教室

Posted By on 2015年8月24日

今年でもう3回目になる。
去年から幼児と一年生に向けて「親子絵本教室」もしている。

30分間で絵本5冊。
子どもたちは集中して聴いている。
絵本の力のすごさを実感する。
コーディネイトも大事で、
一発目の絵本が重要。
同じムードの絵本が並んでも面白くないから、
起承転結をイメージして
作り込む。
僕は常に作り込む。
セミナーも教室も親塾も。
それが自分のスタイルだからだ。
人それぞれでいいから、アバウトにしていて語りでつなぐ講師も否定しない。
その方が言葉に力の出ることもある。

ただ、この前聴いた方は、ご自分がこの後すぐに飛行機に乗るとのことで、
ずっと
「時間がない」
を連発していた。
聞き苦しい。
これで国語の偉い先生なのかとがっくりした。
時間がないというのも言ってもいいが、
四六時中聴かされると、
「だったら、もう行かれたらどうですか」
と、言いたくなる。

読解力

Posted By on 2015年8月23日

昨日は石川晋さんと一緒に絵本の会。
晋さんとは、読む本がかぶることは決してない。
「今度、どの本を読みますか」
なんてすりあわせは必要ない。
これは、絵本というものの本質なのかも知れない。

晋さんの選書は、僕なら絶対に読み聞かせしないものばかりだ。
僕はどうしても読み聞かせのときに
聞き手の様子を想像してしまう。
晋さんはおそらくそんなことは何も考えていないだろう。
自分が「いいな」と思った物を読む。
ただそれだけである。
僕みたいに本を講座に位置づけて作り込むようなことはしない。
それが彼の「読み」の魅力である。

晋さんが『トムは真夜中の庭で』について中学生に読み聞かせしたときのことを語っていたが
読解力が圧倒的に弱くなっているのは、僕も感じる。
言語活動を一生懸命にして、読解力をつけることをしていない。
読解力は人間を読み取ることにもつながるから、
人間理解も浅くなってくる。

先生達もそうだ。
30年以上前、TOSSが流行する前の教育書は、今の先生達の多くには読めないだろう。
平易な文章しか読まない経験をしてきたたら、
今更難しい文章は読めない。
言葉による深い思索ができないのではないだろうか。

国会論戦

Posted By on 2015年8月22日

政治的な発言は極力しない。
だから、国会論戦についても
政治的には論評しない。

戦争に半歩でも近づくことは絶対に反対だけど。

国会の論戦はあまりにも悲惨だ。
答弁が噛み合わない。
というのは、首相の答弁が何も答えていないから。
あれは、ひどい。
小学生でも、あんな答え方を先生がすれば、
きっと怒り出す。
ごまかしているとしか思えない。
知的にかわしているわけでもない。

具体的に書きたくないほど、ひどい。
言葉を大切にしようと語っている立場からすれば
ゆゆしきこと。

東京で見つけた美味しいスペイン料理

Posted By on 2015年8月21日

エル チリンギート
という店に入った、市ヶ谷で。
僕のグルメ勘で。

正解。

美味しかったァ。
東京ではお金をたくさん出さないと美味しいものは当たらない。
でも、ここはお手頃で美味。

イベリコ豚の生ハム
これ、かなりのレベル。
小さなコロッケに
イワシのタルタルは細かく切ったイワシとサラダに林檎。
ロシア風のポテトサラダ。
穴子のフリットとサワークリームの心地よさ。
ムール貝のコロッケ。
いやあ、今度また行こうっと。
カウンターもあるから、一人でも行ける。

http://hitosara.com/0006032591/

善意の毒

Posted By on 2015年8月20日

善意というのは怖い。
毒にもなるということを自覚していないといけない。

例えば、「震災の復興支援のために協力して下さい」と言われたら、
断りにくい。
断ったら、後味が悪い。
悪いことをしたような気になってしまう。
震災の復興支援ということに対して異を唱えることは、
ふつうの人にはできない。

つまり、こういう善意の言葉は、
相手に選択の幅を与えないのだ。
受ける人はいい人、受けない人は悪い人、
そういう構図になってしまう。

「アフリカの子どもたちの命を救うためにお金を集めます。
セミナーを開くので、賛同頂けるなら、ノーチャージで講師に来てもらえますか。」
と言われたとき、簡単に断るのは難しい。
しかも、
「このお願いはA先生、B先生、C先生、D先生、E先生にしています。」
なんて書いていたら、あの先生はオーケーしますが、あなたは断るんですね、
というプレッシャーを与えかねない。

「震災復興のためのシンポジウム」だとか
「アフリカの子どもたちの命を救うための特別会議」
だとかいうのならば、そういうことに取り組んでいる人たちが主催して
そこに賛同した人たちが参加してくる。
これならば、問題ないだろう。

いずれにしても、善意を掲げてものごとをするときは、
毒になることもあると、心するべきだ。

ラグビー好き

Posted By on 2015年8月19日

「10俺たちのキックオフ」 堂場 瞬一
読了。
ラグビーをちょっとでも知っていたら、
おもしろい話。

珍しいラグビー小説。
それも大学ラグビーが舞台だ。

でも、人間を描いたもの。
急逝した監督と交代した新監督と元監督の息子でキャプテンとの葛藤なのだが、
常に「ラグビーって、なんだ」というテーマが貫かれているように思う。

僕はラグビーが好き。
全くしたことはないし、したいとも思わない。
ラグビー独特のノリも好きじゃない。
でも、40年以上に渡るラグビーファン。

レスラーになった藤原。
やんちゃの宮下。
北の洞口。
小さな鉄人永友。
生きた化石と呼ばれた東田【『スクールウォーズ』の天敵】

個性的なラガーが好きだ。

SNSでのアップ

Posted By on 2015年8月18日

フェイスブックにセミナー等の内容をアップする方がいらっしゃる。
「学び」と称して。
はっきり言おう。
「学び」とは、公開するものではない。
学ぶということは、内なる自分に向かうことだ。
食べ物で考えると分かりやすい。
食べ物を口に入れる、咀嚼する、
そこで吐き出したら、栄養は全く身にならない。
咀嚼して呑み込み、胃で消化して腸で吸収する。

セミナーで学んだことをそのままアップすることに
なんの学びもない。
咀嚼したらすぐに吐き出すようなものだ。
学んだと思っていることを自分の中で咀嚼し
深く考えてこそ、学びになる。

自分の感じたことをアップすることには意味があるとは思う。

アップするなら、考えておくべき事がある。
講師の話には著作権が生じるということ。
細かく記録したものをアップするのは、著作権侵害の怖れがある。
「この内容でアップしてもいいですか」
と、講師に確認するべきなのだ。
僕は、一度、僕の講座を克明に記録してアップした方に、削除を求めたことがある。
もう一つは、プライバシーポリシーを考えなければならないということ。
写真などをアップするときも、講師の許可を得なければならない。
コンプライアンスということは、もっと考えるべきことなのだ。

若いということ

Posted By on 2015年8月17日

若いということは
未完成ということだ。
まだ何も固まっていない。
勢いや元気だけはある。
自分のしていることの意味は、まだまだ分からない。
心ある若手には直接言っていることがある。
「20年経ったときに、同じものしか見えていない、同じことしか語れないのなら
成長しなかったということだよ。」
この言葉を老害と捉えるか、示唆と捉えるかは、その人間の決めることだ。

若いうちは、生意気でいい。ぎらぎらしていていい。
根拠なく威張っていていい。
いつしかそういうことのばからしさに気づくか
ずっとそのままでいくかによって、
その人間の成長が分かる。

学び続けることのできなかった人間は、
ある時期から、同じことしか語れなくなる。
本人は、自分の理論が確定したと思い込んでいるだろうが
自分のベースを持ちながらも、新しいところを見つめている人間とは
比較にならないほど、つまらない。

裸の王様にしか見えない。

若い人たちには、そんなふうになってほしくないなあ。

道徳の話、できるんですか

Posted By on 2015年8月16日

SOYAで、2時間フルに道徳の講座。
ここは、とても話しやすい。
「多賀先生は、道徳の話、できるんですか」
と、聞かれることがある。
話す資格があるのかと言われると
若干微妙だけど・・・。
32年間も担任していたら、
道徳の授業もそれだけやっているということ。

教育オタクなんだから、
実践はいくつかまとめている。

教科化することによって、教科書が出てくる。
それをそのままやれば良いというような発想ではいけない。
子どもたちの実態に合わない内容を
教科書に出てくる順番に授業していくのでは、
子どもたちに何も伝えることはできないだろう。

9月26日は中止です

Posted By on 2015年8月15日

東京で企画した第3回の
「教室の『あの子』を考える」シンポジウムは中止にした。

いろいろと考えさせられることがあった。

セミナーを企画するということは、
自分がいろいろかぶるという覚悟がないとできない。
収益など、上がらない。
それが基本だ。

大なり小なりご迷惑をおかけすることがあるので
講師をお願いすることには気を遣う。
ともかく自分が得をすることだけは避けてきている。
道楽でやっていることだから
それでいい。
それでも、講師にご迷惑をおかけするから
信頼関係がないとできないわけだ。

神戸での会も、ご迷惑をおかけしている。
どこかでお返ししないといけないと
いつも思っている。