授業のコミュニケーションとは何か

Posted By on 2015年8月5日

いろいろな学校で若手の授業を参観する機会がある。
危ないと思われているクラスに入ることもある。
若い先生ならもの足りないところがあったり、子どもの扱いがまずかったりするのは当たり前だ。
僕はそんなところには問題を感じない。
なぜなら、彼らにはベテランにない若さの特権のようなものがあるからだ。
少々技術がまずくても、子どもたちは担任の若さに惹かれていく面があるのだ。
 問題に思うのは、子どもの反応に関係なく淡々と予定通りに授業が進んでいる場合である。
そういう場合、先生は子どもをほとんど見ていない。
どんな表情で発言しているのかを見ていない。子どもと目線が合わないのだ。
これではコミュニケーションなど成立しようがない。
発言している子どもは、先生からなんの反応ももらえず、周りの子どもたちも無反応。
こんな授業が一年近く続いたら、子どもたちはもたないだろう。
 僕と同い年の友人が縁あって同じ職場にやってきた。
図書室で授業をするので見るとはなく見ていたら、笑顔で子どもたちとやりとりをしている。
週に一度しか会わない子どもたちと授業でしっかりとコミュニケーションをとっている。
子どもたちも笑顔でそれに応じている。もともと子どもとのやりとりの得意な教師ではあった。
「さすがにうまいなあ」と感心してしまう。
 よく一問一答ということが、下手な授業の代名詞としてやり玉にあがる。
僕は、社会科などでは、一問一答で80問くらい続ける授業を仕組むが、
一つ一つの一問一答が、一問多答に必ずなる。
子どもとのやりとりを大切にしていると、一問一答にはならないものだ。
 一つの問いかけに対して、子どもが正しい答えを返したときに「はい、そうです」と、すぐに板書してしまうような授業ならば、
完全な一問一答になる。
「今の意見、みんなはどう考えるかな。」
と、子どもたちにもどせば、コミュニケーションになっていく。
 それのできない教師が少なからずいる。
ネットなどでいろいろと調べてきて授業に持ち込んで楽しそうなものを演出する。
いろいろな教育の手法を教室に持ち込んで実践しているように見える。
しかし、実際には、子どもとのコミュニケーションのない授業しかできないため、
学級づくりもできなくなっていくのだ。

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