Posted By taga on 2015年9月13日
先生が学校へ行きたくなくなるのは
さまざまな理由がある。
子どもの荒れ
保護者からの攻撃
同僚との関係の難しさ
管理職からの圧・・・
感じ方は人によって違うし
人によってストレスの受け入れ方も違ってくる。
これに、家庭の問題が加わると
持ちこたえられない。
僕は家族に支えられたと思う。
さて、学校へ行けなくなった先生に電話するときには
言葉にかなり気をつけないといけない。
「学校のことは心配しなくていいからね。」
という言葉は禁句なのだそうだ。
「ええっ」
と思うかも知れないが
追い込まれている人の気持ちは複雑だ。
「心配しなくていいから・・・・」
という言葉の裏で、
「学校は大変だけど、みんなでがんばっている」
というニュアンスを受け取る。
それがプレッシャーになるそうだ。
健康に暮らしている人には理解できないかも知れないが
精神的に追いつめられている人とは、そういうものである。
ただ、全ての人が同じ言葉から同じように感じるとは限らない。
感じ方には個人差がある。
そこが難しいところだ。
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Posted By taga on 2015年9月12日
この夏は、自分が冒険しなくなっていることを
ずっと考えていた。
投げ込み授業は失敗できないという思いが強くて、
どうしても「これなら大丈夫」という授業をしてしまう。
もちろん、学校やクラスの人数、
学級のムードにより
微妙に違うことには、経験がものを言って
対応できてしまう。
だから、失敗しない授業をしてしまっていた。
それで、少しずつ新しく教材研究していたんだけど
この秋は無茶ぶりが多くて
「・・・について授業してほしい」
という要請が多くなった。
新しく教材研究しないと、
手持ちのストックではできないリクエストがどっと来た。
勝手に追い込んでくれるわけだ。
チャレンジには、安定成功はない。
でも、チャレンジする方が、自分の性に合っている。
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Posted By taga on 2015年9月11日
ある方がインクルーシブ教育を語るブログで
親の見栄について、
子どもの思いと重なっていないのではないか
という考えを書いておられた。
その内容については、基本賛成で「その通りだ」と思っていた。
ただ、別の考えも僕にはあって、
子どもの居場所って何だろうと
改めて考えていた。
そうしたら、そのブログをシェアしてご自分の意見を書かれるかたがいらっしゃった。
ものすごく否定的な書き方で、
人格否定につながりかねないような発言まであった。
要するに、「分かっていない」と言うのだ。
親の見栄なんかで子どもの進む道を考える親なんて一人もいないと言うのだ。
でも、そんな人はいるよ。
僕は知っている。
僕はその親の見栄そのものさえも否定しない立場に立つんだけど。
当たり前にいるよ、そんな人たち。当たり前じゃん。
人間って、みんな天使の心で生きているわけじゃない。
親の見栄もあり、子どもをうっとおしく感じる時もあり、それらにも苦しみ、葛藤しているのが本当のところじゃないのかなあ。
人間って、そういう生き物だと、僕は思っている。
「あんな人には何も分からない。」
「何も知らないくせに好き勝手言うな」
こういう「知っている人」からの言葉とは、対話できない。
対話がクローズドしてしまうのだ。
オープンにして、ふつうに
「私は親の見栄なんてないと思うけど、いるのかしら、そんな人」
「私は何人も出会いましたよ、そういう方。」
というような言い方ならば、対話できるのに。
残念に思う。
申し訳ないが、特別支援の方の中にも、たまたまそういう発言をされる方がいらっしゃる。
普通の学校現場の中にも、いらっしゃる。
分かってないことはご自分にはなくて、相手にだけ分かっていないことがある、
という姿勢では対話は不可能だ。
お互いの温度差を縮める努力がないと、話なんてできない。
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Posted By taga on 2015年9月10日
松宮宏の書き下ろし文庫。
奇妙な話。
寝る前にふとんで読もうとしたのが、失敗。
10時頃に読み始めて、12時過ぎてしまった。
だから、メル前には、難解な本を読むようにしているのに・・・。
3部の短編集。
いずれも食べ物に関係あるが、
関係あるというだけ。
特に『ホルモンと薔薇』は
かなりぎりぎりの話で
書きぶりと人情が気持ち悪くさせないというもの。
花隈と高架下という馴染みの場所がイメージを膨らませる。
『こころの変える場所』は
姫路という土地に詳しい人は、ようく分かる話だ。
でも、表題の『まぼろしのパン屋』は
関東の話。
後味の良い小品、てとこかな。
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Posted By taga on 2015年9月9日
9月6日に新しい会の立ち上げとなった。
この会はフラットに話し合う会。
思ったことをぽろぽろと語る会。
各自が持ち寄った提案に対して、
好きなことを真っ直ぐに語る。
年齢や立場を抜きにして、
フラットな会にする。
それの出来ない方、例えば、
上からしか物の言えない方や
言い方が失礼だ等と目くじら立てる方には
ご遠慮いただく。
亡き岡田崇先生のご遺志を継いで
そういうフラットな会にしたい。
第一回は、それができたように思う。
「作家の時間」「読書感想文」「大造じいさんとガン」
「アクティブ・ラーニング」「斑活動と代表委員活動」
さまざまなことを、ぱらぱらと話し合う。
お菓子を食べながら、気楽に語りながら、それぞれが自分の学びを持ち帰る。
久しぶりだな、こういう話し合い。
このムードを続けていくことが、僕の仕事だ。
Category: 教師へのメッセージ |
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Posted By taga on 2015年9月8日
オリンピックのエンブレムが白紙になった。
ロゴがどれかに似ていることも問題ではある。
それよりも、
どう考えても、選考過程がおかしい。
公募したものに対して
修正してもらうって、意味が分からない。
はじめから佐野氏に任せる予定だったとしか思えない。
学校の文化祭のエンブレムを全校生に公募した。
300点近いものの中から、5点に絞った。
そして、一点、多賀君の作品を選んだ。
それで、学校側が多賀君を呼んで、
「ちょっとこういうふうに書き直してほしい」
と頼む。
多賀君は、前とは少し違う作品を仕上げて持ってきた。
学校は、それを選ばれた最優秀作品として発表した。
もしもこれが公になったら、
その学校はどうなるだろうか。
校長と多賀君のお父さんが幼なじみだったりしたら、
誰でもできレースだったと思うだろう。
ああ、怪しい、怪しい。
Category: 社会問題・教育問題 |
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Posted By taga on 2015年9月7日
組体操を事故の危険をおかしてまですることはないという論調が高まり
大阪市がラインを出した。
組体操の意義はどこにあるのか。
それは、いくつかあるのだが、
一つは、非日常のイベントで力を合わせて、
堪え忍ぶことを学ぶことだ。
そういう機会が人生の中で全くなくていいのか、ということだ。
危険性はあるが、
何らかの活動をすることには、全て危険が伴う。
山登りの遠足も、
遠泳も、
いや、跳び箱でさえも、なんらかの危険性を伴う。
程度の問題である。
また、そうした危険を回避できるようになる能力も養わねばならない。
そんなことを学校でしなくていいというのなら、話は別だが。
Category: 社会問題・教育問題 |
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Posted By taga on 2015年9月6日
大阪市の教育委員会が
組体操について通達を出した。
昨今の「危険、危険」騒ぎに鑑みて
仕方ないことではある。
ただ、中途半端で、無責任な「付け足し」は気に入らない。
ピラミッドを5段までにするとかいうのは指針としてあっていい。
問題は、最後に学習指導要領にないから、正規の授業では扱わず、
クラブや放課後活動ですることとしていること。
小学校で放課後、全員の子どもを残してそんなことができるのかなあ。
しかも、
正規ではなくて、校長の責任でやりなさいということ。
これでは、よほど腹の据わった校長か
何も考えていない校長かのどちらかしかできないかも・・・。
大切なのは、組体操をなぜするのか、ということで
意味のあることであれば、
事故への配慮をして落としどころはピラミッド4段かな・・・というように、
話が進んでいくものではないだろうか。
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Posted By taga on 2015年9月5日
有名な先生が
「1時間の公開授業、1時間の飛び込み授業から学んだり、評価されたりする時代は終焉を迎えつつあるのだと思う。」
ということをおっしゃっていた。
どういう点で言っているのかは、
根拠を明らかにしないため、分からない。
ある程度有名な方がこのようなことを軽く口にすると、
よく分からない若手がそれにかぶさってくる。
こういうことを口にされるということは、ご自分は決して公開授業や飛び込み授業には参加せず、
違う形のことしかしないという覚悟があるのだと
思っている。
先進的な授業をして、多くの信頼を集める優れた方だから、
そこは、きっとそうされるのだろう。
しかし、若手はどうなのか。
現場でその意識でやっていけるのか。
多くの学校で、授業公開、研究授業をしている。
しなければならなくてやっている場合もあるし、
自ら進んで取り組む場合もある。
でも、現場では、1時間の授業公開のためにいつもとは違う努力をする。
そのことによって、自分が深まることは多い。
研究会の形によっては、参加者全員にとっての学びになることは、確かにある。
簡単に「時代は終わった」などと言えるものではない。
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研究授業に意味がないだって?! はコメントを受け付けていません
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Posted By taga on 2015年9月4日
「本の会」で意外と反応が良かったのが
『はやくはやくっていわないで』
いろいろなペースで人は生きている。
速さも全て違う。
あせらないで
あわてないで
その人間のペースに合わせて
生きていけばよい。
そう言う本。
シンプルで、幼い絵なので
僕は好きなんだけど
大人のみなさんにはどうかなあと思いながら
読み聞かせした。
反応は、肌で感じるのだが
僕が思っていたよりも、心にひひいたみたいだった。
絵本って、すごいなあ。
読み聞かせしてみないと、分からないものなんだと思った。
Category: 本の話, 絵本の話 |
『はやくはやくっていわないで』 はコメントを受け付けていません
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