多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

教師不足

Posted By on 2015年11月22日

ある学校で、保護者に学校通信が配られた。
そこには、2つの学年で先生が病休で
代わりの先生が見つからないので困っていると書いていた。
教頭先生や他の先生が交代で入っているから
いろいろとご迷惑をおかけします、と。
委員会にも頼んでいるが、なかなか見つかりません、と。

これが、今の学校現場の実情だ。

先生の休職が多くて
代わりが見つからない。

たとえば、うちの家内は今、教員資格を失っている。
剥奪されたのではなく、
講習をうけていないから、失効した。
そんな人はたくさんいる。
改めて講習を受けている時間もないし、何よりも費用がかかるから
切迫した理由がないと失効したままなのだ。
だから、急に現場にかけつけられる先生の絶対数も減っているのだ。

今や、途中から講師の確保ができない時代なのだ。
なんでそのことを問題にしないで
資格が失効した教師が教壇に立っていることばかり責めるのか。
法律違反は分かっているが
なぜそんなことが起こるのかという実態をきちんと見るべきだ。

オムニバスの授業

Posted By on 2015年11月21日

子どもたちの集中できる時間は明らかに低下してきている。
しかし、気分を転換することは早くできる。

その二つの特性を考えると、45分間ずっと同じ活動を仕組むのではなく、
オムニバスの学習形態を提唱している。
もちろん、最近流行りのアクティブ系の授業ならば
45分間は可能な時間に見える。
でも、授業では教え込んだり、理解させたりする場面があるのだ。
何もかも子どもに委ねることができると
本気で思っている人は、
教材研究不足や
知らないだけだと思っている。

一斉授業形式で子どもたちが学習者になることは可能だ。
先輩たちは、そうしてきたのだから。

水曜日に、高槻の小学校で
「多賀先生のおっしゃるオムニバスの授業の見本を見せて下さい。」
と言われたので、3年生に国語の授業をする。

その担任の先生が、次の時間から続けていけるものも提供する。
こういう形の授業だと子どもはまず荒れない。

ライトイットアップブルー

Posted By on 2015年11月20日

千葉の市川の講座前に
喫茶店で美味しい珈琲。
駅前にいいとこがあるのを知っていたから。

帰りのレジで
おばさんが僕のつけているバッヂを指して
「なんのバッヂですか」
とたずねられた。

「そう聞いていただくためにつけているんです。
これは『ライトイットアップブルー』という世界で自閉症啓発のために
いろいろなところをブルーにライトアップするというイベントのバッヂです。
人の形しているでしょ。
それもジグソーパズルのチップみたいで。
これは、この世に誰一人いなくても成り立たないというメッセージなんです。」

つい語ってしまう。
そう。
このバッヂをつけていると、ときどきこうやってたずねられる。
それが僕のプロパガンダ。

一時的にせよ、一位はうれしい

Posted By on 2015年11月19日

堀さんとの共著『学級づくりの深層』が
一時的だが、アマゾンの学級経営部門で一位になった。
一位は『ヒドゥンカリキュラム入門』以来かな。

ちょっとの間、気分がいい。

登録情報・・・アマゾンから
単行本: 161ページ
出版社: 黎明書房 (2015/11)
ISBN-10: 4654019243
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発売日: 2015/11
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沖縄の心

Posted By on 2015年11月18日

ひめゆりの塔記念館で
語り部のおばあさんが話していた。
あまり日本兵がどうこうという話がなかったので、
たずねてみた。
兵士として沖縄で亡くなった方の遺族も来られるから
そういう話は避けてされているのだとおっしゃった。

そこから、僕らにだけ日本軍のひどい話をしてくださった。
聴くのが少し辛かったが、
今、聴いておかなければならないと思った。

これが沖縄の心だと思った。

沖縄の小さな本屋には、そこでしか買えない本がいくつも並んでいた。
元知事の太田さんの本などである。
その本には、事実がきちんと書かれていた。

沖縄の心。

ここしばらくの辺野古の問題で
僕はいつもこのことを思う。

沖縄の心をふみにじっていないのだろうかと。

国語の授業

Posted By on 2015年11月17日

今回の関東遠征では、
2年生で物語文の国語の授業。
文学についての講演。

千葉では「ごんぎつね」のフル模擬授業と
物語文の指導の話。

国語の授業についてたっぷりと話させていただいた。
みなさんの感想を見ていると、
国語の授業というもののイメージがなかなかないのだということを
改めて思わされた。

僕が当たり前と思っていることが
多くの先生方にとって、そうではないということ。
だから、国語がネタや方法でできると思ってしまう。
中学のように専門的な国語教師ですら、
そういう流れにながされてしまうことがある。

国語について、ちゃんと話していかねばならないなと思った。
そう言えば、最近、関西で国語について徹底して語っていない。
ニーズがないからなんだけど・・・。

同僚の悪口

Posted By on 2015年11月12日

SNSで
同僚の悪口を言う教師がいる。
「ともだち」にしか伝わらないという
安易な考えからだろうが、
甘い。

同僚の悪口を言うときは、
辞める覚悟で決定的になるだろうということを考えて
出すべきだ。

それよりも、教師の仕事をしていて
同僚の悪口はないんじゃないか。
子どもたちが同じようなことをしたとき
何というんだろうか。

自分が絶対に正しいという立場に立って
同僚の悪口になることを言うというのは
SNSに限らず
セミナーなどでも好ましくない。

奈良での授業研

Posted By on 2015年11月11日

水曜は、生駒で授業研。
授業の中で
お互いの作文を見合うための観点が難しい
という話になった。

授業のために教材研究をしっかりとしすぎて
つい、子どもたちに高いレベルのことを要求してしまうものだ。
今回もそれが出てしまった。
やはり、低いところからステップアップして
それこそユニバーサルデザインとしての観点表を
つくってあげることが大事だと話した。

それと、お互いをレベルアップさせるために
直すべきところばかりをチェックさせようとした。
しかし、教科書にも良い工夫を見つけることをめあてとしていたぐらいだから、
良い点と直すべき点の二つについてかんがえさせれば良かった。

新任の授業で
みなさん、とても深く考える機会となったのではないだろうか。
研究授業は、そうでなくっちゃ。

『ヴェサリウスの柩』

Posted By on 2015年11月10日

忙しくて疲れてるくせに
麻見和史の『ヴェサリウスの柩』を読了。
つい、ふとんに持って入ったのが致命的だった。

医学ミステリーなんだけど
死について考えさせられてしまった。
なんせ舞台が解剖教室だから。

お袋が
阪大に登録していて、葬式から大学へ出棺。
その後って、なんかおかしな感じだった。

お骨も一年後に頂いたし。

その解剖教室が現場だから
出てくる「ライヘ」がお袋をイメージしてしまった。
とっても不快感。

札幌での堀さんとの二人会で

Posted By on 2015年11月9日

いくつか、僕の話したことを書こう。
■ 子どもを見取るものさしについて
※ ネオンテトラの群で、おかしな魚はすぐに気づく。
 全体の動きの中で見取ること
※ 観点を持つ、増やすこと
■ 「なめられるな」「ぴしっとやれ」という中で
 若い女の先生が戸惑う。
■ アクティブ・ラーニングについて
※ 戦後、自主的活動的授業と知識をきちんと教える授業を
 波のように繰り返してきた。
 コア・カリキュラムは「はい回る経験主義」と言われた。
 その後、知識を教える一斉授業重視になり、
 また、アクティブ系になって・・・
 という歴史の上に立って考えるべき。
※ 時間のコントロールをどうするか
  一斉授業でも時間をコントロールできない先生が、ALでコントロールできるはずがない。
※ いつ、どこでどのようにするのかがポイント
■ 道徳の評価はどうするのか
※ 道徳には技術目標がないから、評価できない。
■ 道徳について
※ 先生の哲学しだいになる可能性がある
※ 道徳はきれいごとだし、道徳性の高い子どもが生活しやすいとも限らないし、
 幸せになるとも限らない。
※ 道徳規範のしっかりした子どもが、教えた道徳を他の子どもたちにも実践しようとしたら
 その子は浮いてしまわないか。