多賀マークの教室日記

教育にかかるよしなしごとを、つれづれなるままに・・・。
「教育」というと、力の入った人か、アウトサイダー的な方かの両サイドが目立つ。
僕は、港と山にかこまれた神戸という風土で肩を張らず、妥協もせずに見つめてきた目から、今を語りたい。

今日は奈良市

Posted By on 2017年5月8日

教育委員会の依頼で
初任指導の先生方への講演。
今、一番やっていきたいこと。
初任指導の先生方は
善意で若者を追い詰めたり、
潰したりすることがある。
今時の若者に合った指導を
メンターとしての考え方を
具体的な初任指導の方法を
伝えられたら、
と思っている。

『きれいごと抜きのインクルーシブ教育』

Posted By on 2017年5月2日

『きれいごと抜きのインクルーシブ教育』という本を南恵介くんと二人で書きました。
5月末に刊行予定です。
同じタイトルで、夏にセミナーを開きます。
セミナーというよりも、フォーラムと言った方が良いのかもしれません。
 
 インクルーシブ教育。
全ての子ども達を同じ教室で育てていくことを考えましょうよということは、これからの大きな教育のめあてです。
しかしながら、学校現場の現実の前では、それらはただのきれいごとです。
・ 「あの子」が暴れても経験の浅い先生が一人で対応しなければならない。
・ 授業が「あの子」によって、めちゃくちゃになってしまう。
・ 「あの子」だけが立ち歩くことを許されて、納得できない子ども達。
・ あの子への言葉や体の暴力
・ 被害児童の保護者が学校へ怒鳴り込んでくる
そういうことは、日常茶飯事のようにあるのです。
 その中で、先生たちがもがき苦しんでいます。
職場のフォローのない場合は、かなり精神的に追い込まれてしまうこともあります。
インクルーシブ教育は、そんなに簡単なことではありません。
ただ単に正論を唱えるだけでは、現場の先生たちは苦悩し疲弊していくだけなのです。
学校現場の実態を本音のままに示し、そこから出発してインクルーシブ教育を考えていきます。
実態だけではいけないので、解決法も同時に示していきます。
また、保護者の本音というものをとりあげていきます。
「あの子」の側からだけでなく、逆の立場からの本音も出していきます。
それらを突き合わせてこそ、本当にどうしていけば良いのかという手立てが見えてくるのだと思います。
多賀・南の出版に合わせて、会を持ちます。
教師だけでなく、いろいろな立場の方の参加を期待しています。

http://kokucheese.com/event/index/466730/

日時 2017年8月9日【水】 10時~17時
場所 兵庫私学会館 101号室
参加費 4000円(6月末に発刊予定の新刊本代を含む・・・必要ない方は2500円)
懇親会 4000円 元町、三宮近辺にて
タイムテーブル
① 10時~12時 オープニング 多賀の基調提案に引き続き、南・多賀の対談
     「インクルーシブ教育ってなんだろう」
② 13時10分~14時10分 「教室の『あの子』のいる教室」南
③ 14時20分~15時20分 「気づかずに子どもをつぶしていないか」多賀
④ 15時30分~16時20分 「インクルーシブな授業を考えよう」南
⑤ 「参加者全員で考えていこうーこれからのインクルーシブ教育」
◆南恵介
中学校,小学校講師での勤務を経て,小学校教諭となる。現在,美咲町立柵原西小学校教諭。人権教育,特別支援教育をベースとした学級経営に取り組んでいる。子どもたち一人一人を伸ばすための多様な学びのあり方について研究を進めつつ,試行錯誤しながら教室実践を積んでいる。
著書に『学級を最高のチームにする!365日の集団づくり 5年』『子どもの心をつかむ!指導技術 「ほめる」ポイント「叱る」ルールあるがままを「認める」心得」(明治図書)共著に『高学年必読!小学校で育てる!60のチカラ』(共著)(フォーラムA企画)など多数。
◆ 多賀一郎
私立追手門学院小学校、神戸大学附属住吉小学校から私立小学校に長年勤務。「教育が趣味」。 保護者のための講座、親塾主催。年間100以上の回数、公私立校で助言・講演等をしている。
著書『子どもはこう受け止めるんやで』『多賀一郎の荒れない教室の作り方』(黎明書房)、『大学では教えてくれない保護者対応』『ヒドゥンカリキュラム入門』(明治図書)、『学校と一緒に安心して子どもを育てる本』(小学館)その他多数。 共著編著『女性教師の実践からこれからの教育を考える! 』学事など、多数。

醜い心

Posted By on 2017年4月30日

人は心の中に醜い部分を持っている。
嫉妬、怒り、吝嗇、強欲、残虐・・・。
いくつかは、誰の心にもある。
それを認識したときに落ち込み、
地獄を感じる。
しかし、理性と徳性がそれらを抑え込んで人間になる。
醜い心のある自分も許せると、他人にも寛容になり
心は落ち着く。
そうやって人は、心を制御しながら生きていくのだ。

誰かが何か素敵なことをやり始めたとき
それにのれなかった人たちが羨望の目で見始める。
「いいなあ。」
「うらやましいなあ。」
という心ならば、人も自分も傷つかない。
しかし、
「どうせうまくいかないだろう。」
「甘い考え方だ。」
「あんな連中のすることは、ダメに決まっている。」
・・・・・
そういうことを考えたり、SNSで否定的なことを発信したりしてしまう人がいる。
その人たちは弱い人なのだが、
対象となった人たちは傷つく。
弱いからと言って、くだらない人間だからと言って、
許されるものではない。
まして、その人たちが教育者であるとしたら、
僕は
「教師を辞めろ。」
と言いたい。
子どもたちに何を教えているのだ。

リンゴが食べたかったんだろう

Posted By on 2017年4月29日

引っ越し業者のCМに
結婚して青森に引っ越しするカップルが出てくる。
なんとなくそれっぽい雰囲気のあるキャストで、いろいろと想像させてくれるドラマ仕立て。
よくできていて、僕は気に入っている。
「きっと、この彼は幸せそうにお尻にしかれるんだろうなあ。」
と、思わされる。

さて、その冒頭で
青森に行くから遠距離恋愛になると言いかけた彼氏に
「りんご、一緒に食べられるね。」
と、彼女が言う。
これは、ふつうに考えたら
「結婚して一緒に青森に行く」という、彼女からのプロポーズだろう。
ふつうに考えたら。
でも、そうはとれない人がいる。
「りんごを一緒に食べたかったんだな。」
と、言葉の額面通りに受け止める。
そういう人とのコミュニケーションは、意識していないと難しくなる。

教室にもいるんだよね。
存在を知るということが大事だと思う。

「含羞」

Posted By on 2017年4月24日

新聞を読んでいて
久しぶりにこの言葉に出逢った。
日本的な美しい言葉の一つだと思う。
羞恥とも違う、
そこはかともなく感じる恥ずかしさかなあ。
この頃、含羞とは程遠い言動を多く見かける。
自分の経験したこともないことを
想像で雑誌に投稿する。
自分の力だけではなしえないことを
さも独力で達成したかのように語る。
恥ずかしさが感じられない。
言葉は心とともにある。

第2弾 発刊

Posted By on 2017年4月23日

『女性教師の実践から、これからの教育を考える』
いよいよ発売。
今回は、本当にいろいろなタイプと年齢の先生に
書いて頂いた。
僕がこのシリーズを企画したのは、
何度か話しているが、
やはり、
「私は子どもになめられます。どうしたらいいですか?」
という若い女性教師の言葉からである。
そういう思いの先生方に
なんらかのメッセージが届けられたら
幸いだ。

遊ぶなら、今、四月にこそ

Posted By on 2017年4月19日

新任研修で必ず言うことの一つ。
「どうせ大した授業はできないんだから、
せめて子どもたちとよく遊んで仲良くなりなさい。
いざというときには、子どもとの関係がものを言います。」
遊ぶなら、忙しくて時間のとれない
この四月のスタート時期こそ。
子どもたちに
「この先生は自分たちとよく遊んでくれる。」
と、印象づけることだ。
最初のうち忙しくて遊べなかった先生に、やっと時間ができて
子どもと遊び始めても
子どもたちは「きまぐれ」とか「暇なんだな」としか
受け取らない。
四月からずっと遊んでいた先生の手が回らなくなって
遊べないときは
「先生、忙しいんだね。」
「また、遊んでね。」
という言い方をする。
四月にこそ、子どもと走り回るべきだ。
子どもは教師にとって最大の庇護者である。
教師は子どもたちを守る存在だが
実は、子どもたちに護られる立場でもある。
保護者のクレーム、
管理職や同僚からのハラスメント、
「もう学校に行きたくない」と思うことだってある。
そんなときに、子どもたちの存在が
教師を学校へ引き寄せる。
子どもたちが助けてくれる。

思い出した!

Posted By on 2017年4月17日

児童相談所へ行ったことがある。
いやいや。
担任している児童の問題ではなくて、
僕自身が5歳の時。
あまりにも口がうるさくてやかましいので
母が連れて行ったそうだ。
近所のおばさんに
「ぼうや、あんよがおじょうずね。」
と言われて
「大人のくせに、『足』のこと、『あんよ』だって、おかしいの。」
と言うような生意気なガキだったらしい。
「こんな子、どうしたらいいのでしょうか。」
すると、所員の方が
「しゃべりたくて仕方ないのだから、
英語でも習わせなさい。」
と言われた。
だから、僕は、英語を習い始めた。
だから、実は、発音記号なるものが読めるので
英和辞典で読み方を理解できる。(ちょっと自慢)
ところが、中学に入ったときに、勉強しなくても100点がとれたので
全くまじめにしなかったら、
英語の成績がぐんぐん落ちて、
高校では赤いアヒルがつくようになった。

『女性教師の実践からこれからの教育を考える』学事出版

Posted By on 2017年4月9日

今月末にいよいよ第2弾発刊。
■ 前書きから(一部抜粋)
第二弾として、現場の生の実践を語ってほしいと、五人の女性教師に執筆を依頼しました。
宇野さん、藤木さんのようなある程度完成された実践家とは違い、
発展途上の先生方です。
年代は、二十代後半、三十代の前後半、四十代の前後半と広い範囲の方々です。
人生経験も働く地域もさまざまです。
九州、関西、北海道で、それぞれの個性を活かしながら日々がんばっておられる方々ばかりです。
教師としてのタイプも全く違います。
それぞれに、ご自身の立ち位置、学級づくりや授業でのポイント、自分を支えている根本など、語っていただきました。
女性の先生方がこの本を読まれるときは、ぜひ、ご自分のたどってきた道、歩んでいる姿と照らし合わせながら読んでみてください。
どなたかの話と重なる処がきっとあり、共感できるのではないかと思います。
また、男性教師は同世代の女性陣がどのように教師としての力量を形成しているのか、考えることができるでしょう。
それは、今の自分、これからの自分に活かせることだろうと思います。
共感したり、反発したりしながら読んでくださって、いろいろな議論が起こることで、
これからの学校教育の在り方をさぐっていくことを期待します。
それが「女性教師から学ぶ」ということだと思っています。
また、武庫川女子大学の藤本勇二先生には、女性教師を現場に送り出し続けているという立場から、
女性教師の「今」と「これから」を語っていただきました。
深い愛情を持って教え子たちを育ててこられた先生だからこその教師論は読みごたえがあります。
そして今回はさらに、女性管理職にも踏み込みました(ちょっとおそるおそるですが・・・)。

Dialogue

Posted By on 2017年4月7日

昨日は、青山さんと
ひたすら語り合う。
何かを目的としているわけではなく、
ただ対話しているだけ。
時間はあっという間に過ぎていく。
語りながら、自分の考えも整理されていく。

僕はとてもとても青山さんには及ばないが
場違いな人間なりに深く考えていきたい。
一人一人をきちんと見とることが
最も大切なことなんだと
改めて、思った。
言葉にすれば簡単だし、
多くの人が口にすることだ。
でも、浅い「見取り」と深い「見取り」がある。
「見取り」の具体化、言語化も考えていかねばならないんだなあ。

いろいろと課題をもらった楽しい「対話」の時間だった。