作文を書くことの意義ー親塾18から

Posted By on 2013年2月16日

◆ まずは、作文を書くことの意義です。

なんで、作文を書けなければいけないんでしょうね。

みなさんの頭の中には、記述式のテストの答え方が浮かびましたか。

まさか作家になるためなんて思わないでしょう。

みなさんは、作文が書けないから困ったことがありますか?

ほとんどないでしょう。

大学の卒論ぐらいしかないんじゃないですか、困ったとしたら。

実は、人生で、作文が書けなくて困るということは、ほとんどないんですね。

学校の先生でも、まともな文章を書けない方は、たくさんいらっしゃいますよ。

実は、就職活動するときや推薦入試のときには、

自己推薦文などを書くことが必要なんですね。

僕も、去年は少しそういう文を書きましたよ。

で、実は、子どもにとって作文が大切だというのは、そういうことと関係ないんです。

そんなことじゃないんです。

作文が書けるということは、論理的な思考ができるということとか、

自分自身を開放していける人間に育つということなんです。

作文が書けるようになるということは、そういう力を持つということなんです。

そのことについては、これから詳しく述べていきます。


◆ では次に、作文とは何か?ということについて。

① 書くことは、心をたがやすことだ

人は、日記を書こうとしたとき、まず、

「何を書こうかなあ」と思いますよね。

そして、一日の生活を振り返って、いろいろな出来事の中から、一つだけを取りだして書きます。

振り返りと選別。

頭の中でこれだけの作業が書く前に行われるわけです。

作文を書こうとするだけで、まずは心が耕されるということです。

② 書くことは、考えを深めることだ

日記を書いている途中で、

「あのとき、野田君はどう言ったんだったかなあ。」とか

「安倍君は、確か、選挙制度改革を冒頭の国会で決めるって約束したよなあ。」などと、

自分の見聞きしたことをもう一度思い出し、

それについての自分の考えを確かにしていきます。

書くために考えているのですから、曖昧なままにはできません。

頭の中だけで考えている時は、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしていてもいいんですが、

それを文章に落とすとなると、そうはいきませんね。

さらっと流していたことも、深く考えなければならなくなるのです。

そういう頭の中の活動が、書き手の考えを深めていくという訳です。


③ 書くことは、自ら生活を歩むことだ

書くことは自ら生活を歩むこととは、どういうことかと言いますと、

毎日のように日記を書かないといけないという意識を持たせると、

子どもは、生活しながら「日記に何を書こうかなあ」と、探すようになります。

いい題材を見つけたら、

「あっ、これを書こうっと。」

と、そのことに集中して頭を使い、よく聞き、良く見て、覚えようとします。

それが、生活に対して主体的な姿の一つだと、僕は考えています。

僕は、ブログを毎日書いています。

ぼんやりと暮らしていたら、書けませんよ。

いつも、心のアンテナを張って、いわゆるネタ探しをしています。

みなさんも、毎日文章を書いてみたら分かります。

書かなければならないという気持ちは、生活に対する見方を鋭敏にします。

もっとも、いきなり子どもたちに毎日日記を書けなんて無茶なことは、言えません。

僕だって、毎日書いてこいなんて言いません。

できることから、少しずつすればいいのです。

一週間に一回でも、そのときにぼんやり生活できなくなるから、いいと思っています。

 

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