赤ペンの話 作文の話ー2-

Posted By on 2012年2月13日

札幌で話したことを、一部だけ書いていく。

主に赤ペンに関する話。

今日は、その1.

 

・赤ペンにこめる思い

赤ペンという言葉は、子どもの作品を添削するという意味ではありません

二流の教師は、子どもの作文の字の間違いや言い方のおかしなところを指摘して、悦に入っています。

しかし、僕は、作文の苦手な子どもが、間違いを指摘されて上手になったというのを、見たことがありません。

そんな枝葉のことは、どうでもいい。

そういう学力は、別な形の授業をしてつけていくものです。

赤ペンは、子どもの心を受け止め、励まし、子どもと共に考えて前進するために書くものです。

子どもの書いたものを読むときに、我々教師が一番気を付けるべきことは、その子の背景を読み取る、ということです。


四年生の文学教材「一つの花」の学習の最後に、子どもたちに川柳でこの話の感想をまとめさせました。

一人の女の子が書いたのが、こういう川柳です。

 

「ゆみ子ちゃん コスモス一輪 うれしいね 」

解説文「お父さんが、かわいそうなゆみ子にコスモスをあげたところがとても感動しました。

わたしもお父さんにもらったら、うれしいと思います。」


なんか大したことの無い、当たり前の感想でしょう。

ところが、担任してこの子のことを知っている僕には、涙の出るような川柳なのです。

この子は、二年生の時に病気でお父さんを亡くしました。

それから、2年間、お父さんのことは、一言も口にしませんでした。

このときに初めて、父親への思いを出したのです。

「一つの花」という、父親の愛情がクローズアップされる学習の中で、父親に対する気持ちを揺さぶられたことと、

僕とのつながりができてきたことが、この子の心を揺り動かしたのだと思います。


もう一度、川柳と解説文を聞いてください。

「ゆみ子ちゃん コスモス一輪 うれしいね 」

解説文「お父さんが、かわいそうなゆみ子にコスモスをあげたところがとても感動しました

わたしもお父さんにもらったら、うれしいと思います。」


感じるものが、変わったでしょう。

子どもの書いた物は、常に、その子の背景と共に見なければならないということですね。


 

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