目標を見失うとき

Posted By on 2011年10月24日

教師は、ときどき、目標を見失う。

熱くなりすぎたとき。

結果に執着しすぎたとき。

情だけに流されたとき。

 

スポーツ関係は特にあぶない。

リレーや球技大会、

結果がはっきりと見えるから。

 

このときに、教師の矜持が見える。

結果に執着して見苦しいことをしてしまう。

そして、

「子どもたちのため」

という、自己正当化の理論でそのことをごまかしてしまう。

 

全打席敬遠された高校球児がいた。

敬遠した投手が、将来、自分の子どもに自慢できるのか。

 

教師は見苦しい姿を子どもたちに自慢するのだろうか。

「おまえ達のために、先生はがんばったんだ。」

というふうに。

 

このような教師を見抜く子どもが必ずいる。

その子達は、この教師を信頼しない。

 

少なくとも、僕は、そんな子どもだった。

 

結果はそのまま受け入れて、それを人生の中でどう活かしていくのか、

それを考えるのが、教育だ。

結果に執着して、見苦しいことをしてもいいのだと

子どもに教えてはいけない。

 

共に泣けばいいのだ。

そして、次の一歩をしめしてやるべきだ。

教育とは、その場だけの営みではないのだから。

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