広島での授業 2
Posted By taga on 2018年12月6日
今回のポイントは「群読」だった。
そこに入る前に授業計画を一部変更した。
子どもたちの音読のスピードが思ったよりもゆっくりしすぎていたからだ。
急遽、予定変更して、「僕の後に同じスピードで同じ所を読む。」という活動を入れた。
このリズムで読まさないと、教材の力が出てこないから。
さて、32人を8人ずつ4つに分けて「群読設計図」に書き込んで
誰がどこを読むかを決めていく。
子どもたちの実態が分からないから、正直不安だったが、
子どもたちはちゃんと話し合っていく。
ここしばらく投げ込み授業をして感じていることがある。
子ども一人一人への事情や特性を知らないで
授業をするのだけれども、
テンポとムードで「あの子」も動いていくことが多い。
「あの子が初めて発言したのを見ました」
ということが起こるのは
僕が斟酌も忖度も配慮もせず
なんの先入観もないからだと思う。
つまり、こちらで子どもを規定せずに「やらせてしまう」ことで
「やってしまう」ということが起こることもあるということだ。
投げ込みだからこそ、できることがあるということだ。
担任の若い先生は
「正直、嫉妬しました。」
と言っていたが、彼が話し合うベースをつくっていたからこそ、できたことだと思う。
最後にグループ別に群読の発表と評価をしていった。
担任の先生が
「ふだんは一人で読むなんて考えられないのに、〇〇くんがちゃんと読んでいたこと。
あんな笑顔を見たことがなかったので、絶対にあの笑顔を忘れません。
僕があいう笑顔にできるようにがんばります。」
と言う。
「△△君との関係がよくなかったのですが、
僕が勝手に彼の可能性をうばっていたんだなあと思わされました。」
とも言っていた。
こんなふうに子どもたちを見てくだされば、
授業をしたかいがあるというものだ。
明日から毎日、『お経』をするんだろうなあ。
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