女性教師論

Posted By on 2016年3月27日

先日あるセミナーの後の懇親会で、若い女の先生からたずねられました。
「私は、今、二年目なんですが、どうも子どもになめられてしまうんです。なんとかしようとがんばっているんですが、どうしたらいいですか?」
僕はこう答えました。
「申し訳ないけれども、その答えを僕は持っていません。いや、僕だけではなく、今日のセミナーのどの先生に聞いても、その答えは得られないでしょう。あなたの問いに対する答えは、男性教師ではなくて、普通のベテランの女性教師が持っているんですよ。あなたの学校や周りで、怒鳴りつけずに子どもたちとうまくやっている女の先生だけが、あなたの問いに答えられます。」
 地方で講演をしたとき、その後で小柄な若い女の先生が、
「私は悔しいんです。子どもをちゃんとさせられないと先輩に言われます。教師に向いていないとまで言われました。なんとかがんばりたいのです。」
と言うのを聞きました。
 同じような悩みを、若手の女性教師たちは大なり小なり持っているようです。
 そう。僕はその若い女性教師たちに示す答えを持ってはいないのです。なんだかんだ言っても、僕は、めったにやらなかったけれども、ここと言うときには大声を出してきました。それによって子どもたちがびしっと一瞬することは事実です。
はっきり言いましょう。男性教師の多くは、その武器を最大限に活かしているのです。子どもたちと縦糸を作るときに、その武器はかなり有効です。
しかし、女性教師がそれを背景にしようとしたら、とても難しいものです。こういうことを書くと
「男女を差別するのか」
と言われるかも知れませんが、これは学校現場での事実なのです。
 いくつもの学校に指導に入っていて、ときどきすごい教師に出逢います。ベテランの女性教師で、実にうまく子どもたちを動かしていくのです。
ある小学校で授業を観ていたときのことですが、研究主任がその授業のビデオを「参観できなかった先生たちにどうしても見ていただきたいんだ」と、見せました。それは体育の準備運動の部分でした。実にスムースに子どもたちが体を動かす。しかも、先生も子どもたちも楽しそうで、充分な運動量も確保できていました。すばらしい指導でした。体育会系のびしっとした教師ではなく、やわらかい関西のおばちゃん先生でした。
現場には優れた女性教師がたくさんいらっしゃいます。
しかし、セミナーをしたり、学級づくりの著書を出したりするのはほとんど男性教諭ばかりです。現場における女性教師の比率から考えて、あまりにも少なすぎるのです。そして、女性教師の持つマニュアルこそが、最初に述べた先生方の思いに応えられるのではないでしょうか。
ずうっとそういう思いを抱いていました。あるとき、北海道の宇野弘恵先生とやりとりをしていたときに、
「ベテランの女性小学校教師の話を聞きたい若い女の先生はたくさんいるんだよ。」
と言ったら、
「実は、ずっとそういうお話をしたいと思っていました。教員の半数以上が女性であるにも関わらず、女性の書籍も講師もあまりない状況です。・・・女性はやはり下に見られ信用してもらえません。何か一石を投じたいとずっと考えていました。」
という言葉をいただきました。
 それなら、僕のできることをしてみましょうと、ときどき雑誌で仕事をお願いして精度の高い実践を示して下さる藤木美智代先生に声を掛けさせていただきました。藤木先生も宇野先生と同じ考えを持っていらっしゃって、意気投合。ここで女性教師の教育論的なものができないかという方向へ向かい始めました。
 その話を学事出版の加藤愛さんにしたら、
「ぜひ、本にしましょう。」
とのって下さったので、話は一気に進みました。
 この本の主役は、僕ではありません。お二人の優れた女性教師です。女性だからこそ悩んできたこと、逆にできたこと。女性教師として子どもたちにどうしていくのがということ。一つの答えがこの本には詰まっています。
 女性教師だけではなく、男性教師もぜひ読んでいただきたい本です。どなったり体罰したりできない時代において、女性教師のマニュアルは、全ての教師にとって意味のあるものだと確信しています。

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