「岡田崇先生」東風の会 ⑦

Posted By on 2014年12月15日

僕の本によく登場する岡田先生。

敬愛という言葉が一番ぴったりくる。

この方がいらっしゃったから、今の僕がある。

おそらく、僕は岡田先生よりも授業はうまいだろう。

岡田先生よりもよく勉強したかも知れない。

それでも、僕は永遠に岡田先生には届かない。

人間としてのすごさには、頭を下げるしかできない。

この傲岸不遜で生意気な僕が

ただ自然と首を垂れるしかなかったのが、岡田先生なのだ。

岡田先生の言葉は、話された状況と共に

よく覚えている。

神戸プラザホテルの地下の喫茶店で、

新年会の二次会で話されたのは、

「よくなあ、子ども理解、子ども理解って言うやろ。

わし、あれは違うと思うんや。

人間理解なんやで。」

と言う言葉。

これは、三十年以上たっても、

ずっと心にとどめている。

滋賀の合同研究会の帰り、車でお送りしたときに、たくさん会話させていただいた。

「多賀君、子どもは何でゴミを拾わへんのやと思う?」

「さあ。どうしてですかね。きたないからですか?」

「いいや。ゴミやからやで。」

「えっ?」

「子どもはゴミと認識してるから、拾わへんのや。

それが証拠に、鉛筆のちびたんや、定規の欠けたようなものは、拾ってくるやろ。」

岡田先生は、いつも子どもの視点でものを考えていた。

僕が今、少しだけ子どものことが分かるとしたら、

この視点を学んできたからだと思う。

 

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