文学性ということ

Posted By on 2014年10月1日

文学性ということを否定して国語の授業をしている教師がいる。

「そんな曖昧なことよりも、言語の力をつけることが重要だ。」

という、もっともらしい意見がある。

僕からすれば、これは、国語教育の否定にしか聞こえない。

 

文学というものは、人の心の隙間を流れるように潤していく、潤滑油のようなものだ。なんてことを言うと、

「また、曖昧な言葉で誤魔化している」

と言われるかも知れない。

しかし、人の心には、いろいろなところに隙間が空いている。そこに潤滑油のように流れて潤してくれるものが「文学性」だと思っている。

よく、「ぱさぱさに乾いた心」と言うような言い方を聞くが、これは人が文学性を失った状態であるともいえるだろう。

 

心が乾くときというのは、さまざまだ。

叱られたとき、どなりつけられたとき、傷つけられたとき、大切な人や物を失ったとき、疎外されたとき、自己否定したとき、心が汚れたとき・・・。

文学は、そのさまざまなケースに対応して、幾種類もの潤滑油を提供できる。

ぬくもりであったり、癒しであったり、安らぎであったり、どんなうるおいでも存在しているのが、文学のすごいところだ。

 

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