全国大会初日

Posted By on 2011年8月19日

水曜日は、同志社小学校で三本の研究授業。

夏の暑いときに、夏休みで学級指導もとぎれた子どもたちに対して、授業をするハンディは、半端ではない。「それを越えてでもできるのが授業力だ」と言うのは簡単だが、厳しいものである。

僕は、20年前に大失敗をやらかしたから、よく分かる。
だから、うまくいかなくて当たり前である。大事なのは、授業者や参観者がそこから何を学び取るか、ということであろう。
僕が見せて頂いたのは、詩の表現指導というジャンルであったが、こういう授業は難しいものだと改めて思った。

授業者の意欲・熱意はよく分かるが、それを授業に組み立てていくまでには、至っていない。それは、まず、目標の立て方に問題があったと思う。

授業のめあては、それが子どもにとってどういうものなのか、ということを具体的に考えなければならない。

例えば「なりきり作文を書く」というめあては、そのままでは、子どもの目標になり切らない。

「なりきり作文を書く活動を通して、比喩表現の擬人的表し方について考える、気づく」というようなめあてでなければならない。活動そのものがめあてとなる場合もあるが、活動はめあてに到達するためのものである。

さて、三年生の授業は、七十分くらいかかった。よく子どもたちが辛抱してついてきてくれたと思う。僕のクラスだったら、絶対に○○さんと△△くんたちが、

「えー、まだやるのー。」

と文句を言っていたことだろう。

事前研のときに僕がアドバイスしたのは、細かい指導ではなくて、
「ともかく自分の思うことを思いっきりやりなさい。誰かの言われたことになんとなく乗って、自分の納得していないことをするのが、一番つまらない。やるだけやりきって、失敗したら、それでいい。みんなから言ってもらったことを自分の勉強にしたらいい。」

ということだ。
まあ、その通り、思うようにやりきったね、時間をオーバーしても。

若い先生は、こじんまりとまとまらない方がいい。それでいい。

それで事後研の時間が三十分しかなくなってしまった。
ところが、授業者の先生は、その日の自分の授業について、蕩々と話をし始めた。

時間がどんどんなくなっていく。十分、十五分・・・。話し続ける。

たまりかねて、僕は、口をはさませてもらった。
「先生のお気持ちはよく分かるんだけど、せっかくの機会だから全国の他の先生方の意見を聞いたらどうかな。時間がおしてるよ。」

それでようやく他の先生方からの意見が出たが、時間が圧倒的に足りなかった。もったいないことをしたねえ。

授業に対して全国の先生方からの意見をうかがえる機会なんて、もう一生ないかも知れないのに・・・。

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