言葉は、常にニュアンスと共にある

Posted By on 2011年8月6日

佐賀県の玄海原発で起きた、いわゆる「九電やらせメール問題」で、珍妙な説明がなされている。

佐賀県知事が九電幹部に事前に会って、原発再開を容認する投稿を求めていたとされる問題について、

九電の社長が言った言葉。

 

「九電内部で知事のメッセージの伝わり方が正しくなかった。」

 

発言が伝達の過程で拡大解釈され、やらせ投稿の要請にいきついたという認識だと言う。

 

おいおい、ちょっと待ってくれ。

「再起働を求める声があるなら出すことも必要。出し方としてメールとかネットはある。」

と、発言したんだよ。

小学生100人に、これはどういう意味だと思うかと聞いたら、高学年ならまず100%、

「メールかネットで再起動を求める声を出してくれという意味だ。」

と答えるだろう。

 

大人は、もっと責任ある言葉を使ってほしい。

こういうことを言うから、信用されなくなるのだ。

 

この反原発の流れの最中に九電に知事が行ってわざわざ発言したわけだ。

「拡大解釈」では、全くない。

ふつうに考えたら、「そうしてほしいんだな。」と、思うだろう。

 

子どもがこんなことを言ったら、

「ごまかしを言うな。」

と、叱りつけるところだ。

 

 

 

 

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