『学び合い』についての私見
Posted By taga on 2013年2月4日
西川純さんとひょんなことからネットで話すことになって
「ぜひ、「『学び合い』ステップアップ」を読んでください。」
と言われて、昨日買って読破した。
『学び合い』自体は、初めて知ることではない。
以前より僕なりには学んでいたから、真新しくはないんだけど、
自分の疑問や課題と共に読んだ。
西川純さんに敬意を表して、きちんと読後の感想をアップする。
『学び合い』がよく分かっているとは言えないから、
この本の感想だと考えて欲しい。
これは、フェイスブックにもアップする。
まず、この本は、西川さんの言う『学び合い』について分かりやすく書かれている。
ただ、レトリックがどうも・・・、と思ってしまう。
「『学び合い』って、すごい」の章が最初にあって、
こんなふうによくなったということが、並ぶ。
全部実例だけれど、初めて手に取る人や、懐疑的な人は、
ここで引いてしまうかもしれない。
具体例としては、どうも感情的になりすぎているように思える。
もっとも、『学び合い』の本質から言うと、
実践事例を教師が語るとしたら、ああいう形になるだろうと言うのは、分かる。
だから、最初に持ってこなければいいのになあ、と思った。
さて、人は、自分のこれまで大事にしてきたものと全く違う感性と思考に出会うと、
まず、それを否定したくなる。受け入れられない。
『学び合い』というものは、ある程度力をたくわえてきたベテラン教師にとって、
全く違う視点のものだから、これは抵抗が大きくなると思う。
いかに自分の持っているものを横において見られるか、によるのだと思う。
ほとんどの自信あるベテランには、無理かも知れない。
僕は、ベテランで人の何倍も学んできたという自負はあるが、
自信がない。(ほんとだよ)
どうにもならないことをたくさん経験してきた。
悩みながら終わった、と言って良い。
僕は、だから、『学び合い』やファシリテーションに対して、可能性を見ている。
僕のできなかったことが、やれるんじゃないかと思っている。
ただ、自信のあるベテラン教師には、受け入れにくいだろうなあ。
だって、「簡単なやり方で、子どもが全員変わる」って言うのだから、
そりゃあ、受け入れられないよね。
自己否定でもあるんだから。
教材研究をあまりしなくても、この通りにして成果が上がると言われれば、
誰だって、反発するだろう。
確かに、若い教師がこの通りにしたとき、次のような疑問はわいてくる。
・教材研究というものがおろそかになる。
・子どもの一人一人に対する深い読み込みができなくなる。
・ある程度のところまでしか、子どもたちの思考は深まらない。
・いじめがなくなった、特別支援のこどもが生き生きした、というのは、本当は教師が分かっていないだけじゃないのか。
しかし、これは、一斉指導中心の教師においても、
全く同じ事の言える課題である。
『学び合い』だけの問題ではない。
こうした疑問に応えるには、実践の結果しかない。
僕は、この本の中の「教師をうならせる子どもの課題づくり」というものだけは、納得できない。
僕に言わせれば、子どもが教師がうなるような課題を作るということは、ない。
それは、うなる教師の教材研究・子ども研究の不足だと思っているから。
たぶん、これだけは、そこまで教材研究をし、メタ認知や言語過程説などの幅広い学びをした教師にしか分からない。
これは、ある意味、教育オタクの話。(^_^;)
ただし、『学び合い』は、「そこまでやらなくてもいい」ということだから、
ここで議論する必要はないだろう。
僕の今の考えは、こうだ。
まずは、できるところから、少しずつ『学び合い』もやってみながら、成果を見ていき、
他の所では、一斉指導の技術も磨くというハイブリッドが良いのではないか。
例えば、テスト勉強に関してだけ、2時間の自習時間を与えて、
そこで『学び合い』をそのまま実践するのだ。
大切なことは、完コピでやってみることである。
我流を入れずにそのまますることでしか、その教育法の善し悪しは分からない。
保護者の理解や学校としての取り組み方なども書いてあるのが、この本のポイントである。
これが難しい。
学校として『学び合い』を取り組むところもあるようであるが、
自信のあるベテランの並ぶ学校で、若い教師がこのままやっていくと、必ず軋轢ができるだろうから。
可能な場所で可能な人たちが少しずつ積み重ねていくことが大事なんだろうね。
ありがとうございました。真摯に読んでいただいたことが、ひしひとと分かります。
そして、私が読み取っていただきたいことを、的確にまとめていただきました。
感謝です。
なお、章構成は私の信頼する編集者の意見に従ったものです。
事実、その編集者にお願いしてから、本の売れ行きが上がりました。
ただ、その編集者から教えてもらったこと、それは、今の教育書は採用5年以下の人をターゲットにしていると言うことです。
私の経験からも若い人が勉強熱心なのに、ベテランが勉強しないという構図は納得できます。
そこそこ誤魔化すことが出来たら、そこでストップ、というところです。
困ったことです。
もちろん、昔から勉強しない教師が殆どでした。私はそれはそれで良いと思っているのです。
例えば、日本中の人が日本国憲法を熟読している状態、それは日本が危機的な状態の時だと思います。それと同じように日本の8割が勉強しない教師であっても、それはそれで良いと思っているのです。
しかし、勉強している中堅、ベテラン教師も2割は必要です。今、その層が弱すぎると思っています。
私はそれを学校での『学び合い』で打破したいと願っています。その突破口が合同『学び合い』です。それを『学び合い』ジャンプアップで書きました。
授業研究を授業者と観察者に分かられる今の姿から、全員が授業者であり観察者であるという形にシフトしたいと思っています。
僕は、西川さんの主張には、根本的には賛同できます。
ただ、僕はもう少しもやもやしたところで教育をしてきたんです。
教師が勉強しないというのも、その通りですね。
僕が教師になったときは、男の先生は、なんかあったら、子どもをどついてなんとかなりました。
だから、勉強しなくても、やっていけたんですね。
そういう方の何人かが管理職をしているという現実があります。
今の子どもたちは、問題が多すぎて、勉強しなくてやっていけないのに
ベテランは勉強をしません。
そこが問題なんだけど・・・。