障碍者をいたぶる心は、ノリの怖さから

Posted By on 2012年12月29日

昨日の続きだが、

障碍者に対してのおふざけ、からかいの様子を

動画にして、仲間で回していたこと。

 

途中から「ノリ」になっていったように思う。

この「ノリ」が怖い。

コンサマトリーかなあ。

「赤信号、みんで渡れば怖くない。」

という感じで、まともな人間の感覚を薄めてしまうのだ。

 

集団でのいじめのとき、

この感覚も関係してくる。

 

でも、これは、社会的な病理かも知れない。

誰かをターゲットにすると、集団で「やってもいい」という感じで攻撃する。

 

 

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Comments

2 Responses to “障碍者をいたぶる心は、ノリの怖さから”

  1. まりりん より:

    なーんてことは、起こりうること。
    なんて言ってはいられないのです。
    そんなことが我が身・我が子に起こったら1秒たりとも我慢なんてできない。
    教育ジャーナリストの青木悦さんが言いました。「冗談じゃない、とても放っておけない、という『共感力』が薄れてきている」と、いじめの講演会で。
    今度悦さんとコラボする約束をしました。チャンスがあったら兄貴にも噛んでほしい。

  2. taga より:

    共感力というのを疎外しているのは、
    学校教育かも知れない。
    「みんなで楽しく」
    「みんな一緒」
    「みんな仲良く、まとまったクラス」
    ということに、潜んでいることは、ないのだろうか。

    最近、そう思い始めています。
    12日は、お互いの思いをぶつけ合いましょうね。