文集や通信を出すということ・・・教師塾③から
Posted By taga on 2012年6月7日
文集や通信を出すということは、
教師の顔を見せるということである。
通信や文集にコメントを書く。
そこに、子どもに対する考え方や見方、哲学というようなものが示される。
親からすれば、先生の考えがちゃんと分かる。
子どもを通じて曖昧に伝わっているものが、はっきりとどうなのかが分かる。
ただし、文章にするということは、ずっと残るということであるから、
うかつには子どもへの攻撃は、書かない方がいい。
書くときは、一生そのことに責任をとるという根性が必要だ。
それがなければ、ただのいいかっこうのパフォーマンスにすぎない。
阪神大震災のとき、出し続けた文集。
今でも多くの方が大事にしてくれている。
当時は深く考えていなかった子どもたちが、
東北の震災を見て、改めて読み直したということがあった。
文集を出すことは、意味が深いし、
多くの保護者の支持も得られる。
少なくとも、あまり出さない先生よりは、信頼してもらえる。
万能ではないが、
一つの有効な手だてである。
ただ、学校によっては、
隣のクラスがあまり文集を出さないのに
自分のクラスだけたくさん出していると、
出している方の先生を叱るというところがある。
理解不能。
機能不全。
そういう管理職は、3人とも、文集など出したことはない。
だから、その値打ちが分からないのだ。
こういう学校では、教師は育たない。
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