懇談の後で思うこと

Posted By on 2011年7月4日

懇談をしているとき、ときどき、心がさっと晴れるときがある。

子どもたちの様子を見ていて、
「この子はなんでこんなふうな態度を取るのだろうか。」
と、心の靄みたいなものを持っているときに、おうちの方との話で、その理由がはっきり分かるときがある。
そんなときである。

子どもたちは、幼いなりに一生懸命生きている。そして、それぞれのとる行動には、必ず、何か意味がある。学校での子どもを見ているだけでは、なかなかそこが分からない。これまでの育ち方をうかがう中で、気づかされるものである。

なぜか自己防衛的にしか行動できない子ども。そうならざるを得ない就学前の実情があったりする。

人の顔色ばかりみてしまう子どもは、家庭での状況がそれを作ってしまっている場合が多い。お母さん一人ではどうにもならない状況だってある。

そうした子ども個々の実情を知ると、子どもたちがどれほど懸命に生きているのか、ということが分かってくる。

「がんばってしまったんだなあ。」
「そうか。苦労してるんだね。」

そういう思いで、子どもたちの顔を見ると、本当に愛おしくなる。そんないたいけな心をそうっとすくってあげたくなる。

心は、水に映った月みたいなもので、決して取り出すことはできないが、そっとすくった掌の中の水にだけ、映し出すことができる。

僕の掌の中へ、心をすくい(救い)出してあげたい。

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