「教え子」ということば

Posted By on 2011年12月31日

僕は、よく「教え子」ということばを使う。

それは、「教え子」というのは、僕の宝物であるからだ。

 

そして、この「子」という漢字が重要なのだ。

 

年末に恒例の同窓会に参加させてもらった。

毎年、3分の1以上が集まるのは、なかなか多い方だと思う。

もう33才の、おじさん、おばさんなのである。

結こんしたり、離こんしたり、子どもが何人もできたり、

いろんな人生を歩んでいる、りっぱな大人である。

 

でも、僕にとっては、「教え子」という「子」なのだ。

 

いつまで立っても、かわいい「子」たちなのである。

僕からすれば、なんにも変わっていない。

成長はしているが、元は変わらない。

 

だから、かわいい「子」たちである。

 

どんな人生をおくっていても、良い。

僕は、それぞれの子どもの人生を評価したりしない。

 

ただ、元気でいてくれれば、それで僕は幸せである。

夢を語ったり、失敗を話したりしていても、

そこに元気でいてくれる幸せを感じている。

 

「教え子」たちだから。

 

 

About The Author

Comments

One Response to “「教え子」ということば”

  1. KJ より:

    多くを語らなくても解り会える関係
    先生と教え子さん達の間に太い絆を感じます。
    教え子さんにとって先生はホームなのですね。
    先生にとっても教え子さん達といる場所がホームなのでしょうね。
    先生、安らぎの時間でしたね。