子どもを見つめるということは

Posted By on 2011年12月24日

子どもを見つめるということは、こういうことだ。

 

体育をしていたとき。

 

サッカーをしていて、外へボールが出た。

審判の僕から見たら、一人の子どもが蹴り出したように見えた。

その子は、

「先生、僕はさわっていない。○○君が出した。」

と、何度も言うが、審判の鉄則で、競技者の判断に変えることはできないから、

無視してゲームを続けた。

彼は、不満そうであった。

めずらしくしつこく言っていた。

 

その後、今度は、彼と反対のチームがボールを蹴りだ゜した。

これは、僕は確認したから、間違いない。

ところが、彼は、

「先生、僕が最後に当たった。」

と、何度も繰り返した。

 

彼は、そういう男なんだ。

自分に有利かどうかで主張しているのではなく、

正しいことを譲らずに主張するのだ。

彼は信用できる。

 

また、縄跳びの縄を借りていた別の男の子がいた。

体育が終わって、道具を全てしまい、鍵をかけて校舎にもどろうとしたら、

その子が縄を持ってきて、

「まだ返してませんでした。」

と言った。

 

「ほんまに、しゃあないやっちゃなあ」と思いながら、鍵を開けて縄をしまった。

鍵をかけ直して振り返ったら、その男の子がじいっと立っていた。

他の子どもたちは、みんな帰ってしまった後。

 

彼は、深々と頭を下げて、

「どうもすみませんでした。」

と、謝った。

 

これを礼儀正しいという。

心のある子どもだ。

 

僕は、こんなことをノートにきちんと記録している。

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