個人懇談は、明くる日が全てを物語る

Posted By on 2011年12月4日

個人懇談で有意義な話ができたかどうかは、

その明くる日の子どもの表情で全てが分かる。

子どもたちは懇談している親を

どきどきしながら待っている。

あまりわくわくすることは、ない。

先生と話し合って帰ってきたお母さんが、

子どもにどういうか、その第一声が、

「どういうことなの。」

「隠していたことがあるでしょう。」

「恥ずかしかったわ、お母さん。」

「もっとちゃんとしなさい。」

というような言葉であったら、子どもたちは縮こまる。

すっきりして前向きになることは、めったにない。

懇談では、明るい明日へ向かえる話をするべきだ。

子どもの学校での生き生きとした様子を語るべきだ。

子どもの悪口を言う場ではない。

懇談の明くる日に、子どもの表情の明るいときは、懇談が有意義だったということだ。

と言う僕も、時には子どもの良くないところを伝えるときがある。

そのときは、僕なりの覚悟をして言っている。

そして、僕なりにその子に対して取り組みがあると

自信を持って言えるときだけしか言わない。

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Comments

2 Responses to “個人懇談は、明くる日が全てを物語る”

  1. アイエレット より:

    心に染みる今日のブロクです。
    もうすぐ中学3年の三者面談、ぐっさりです。

    日の出よりずっと早くに起きて家事を済ませ、朝ご飯には子供と話ながら
    食事ができるようにはしているものの、日が暮れて仕事帰りに買い物をして
    家についたとたんに息子登場!!
    平素やさしく静かな息子が、見たく無い物をみせるんです。
    テスト!!
    年のせいか?自転車全力こぎのせいか?忙しい仕事のせいか?
    異様に息が上がっているのに、テストの点を・・・見せる!!
    「血圧あがる、心臓に悪、なぜ今!今見て欲しいのね、そう~そうなのね!」
    声にならぬ私の声が、きこえますかむすこ~!!

    ここのところ毎日なんです。
    「やさしく聞いて欲しいなら(ここは恐いかも)、お茶を飲んでから見せてくれる」と言ってもなかなか。

    三者面談の後に、有意義な会話になるように。
    長い治療にがんばっているひとり息子を励ませるようにしたいと思います。

  2. taga より:

    早く見せたいんですよ。
    きっと。
    テストを隠したり、破ってしまったりする子どももいます。