心を届けるということの難しさ

Posted By on 2011年12月2日

被災地の話をうかがうにつれて

「何かさせていただきたい」

という心を届けることの難しさを感じた。

 

全国のいろんな学校から、手紙やメッセージを届けたいと

連絡が来るそうだ。

東北の方々は、決して迷惑とは思っていない。

でも、たくさんの学校からひっきりなしにメッセージを届けられたら

僕だったら、どうするだろうか。

 

何もお礼状も書かずに無視できるだろうか。

何か返さなければ、と時間や心をとって・・・、いうことが重なれば、

しんどくならないだろうか。

 

「十件の学校に断られました。お願いします・・・。」

ということも、あるそうだ。

それは、押し売りと言えないだろうか。

 

何かしたいという思いは、多くの人が持ち、

多くの学校の子どもたちが、何か心を届けたいと思っている。

 

知らぬ顔は、できない。

何かしたい。

と言うなら、もっともっと工夫しなければ・・・。

 

労力を相手にかけさせては、いけない。

自分たちの思いだけで突っ走っては、いけない。

というのは、言い過ぎだろうか。

 

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Comments

2 Responses to “心を届けるということの難しさ”

  1. ポンタ より:

    初めまして。以前から楽しく読ませていただいています。

    私も東北の方々へ向けて何かしたいと思い、1学期に子ども達で歌(「ピースフル」)とメッセージ入りのビデオレターを作って、私が夏休みにボランティアに行った先で親しくなった被災者の方達に見ていただきました。私もビデオレターを作ったのはいいものの、どういったタイミングで見ていただけるだろうかと思い、最終的に無理であればそれでやむを得ないと思って行きました。2週間滞在したボランティア先で、ある程度のつながりが生じて親しくなって、話の流れの中で見ていただく機会が出来ました。

    夏休みの体験からも「心を届ける」ということは難しいことだと思いました。あと、ボランティアとして作業先に貼ってあった被災者の方へ向けての寄せ書きを見ると、なぜかボランティアの自分たちが頑張る気持ちになりました。今のボランティアはがれき撤去等の体を使うものから、仮設住宅等で暮らす方々の話をうかがう傾聴へとシフトしています。時間が半年たったからこそ出来るような、心がつながれるような、温かくなるようなものが必要だと私も思います。

    何の参考にもならないコメントだったかと思いますが、今だからこそ何か出来ればいいなと私自身改めて考えているところです。

  2. taga より:

    ポンタさんへ
    とても参考になるコメントです。
    ありがとうございます。

    うちの学校へも、震災直後、絵手紙などを送って頂き、
    廊下に掲示していました。
    子どもたちは、あんまり見ないで、大人が熱心に見ていました。

    本当に必要なところへ必要なことをするには、
    実際の声を聞きながら、
    じっくりと取り組むしかないでしょうね。

    それを子どもたちにも分かってほしいです。