「学び」という言葉に抵抗がある
Posted By taga on 2015年1月2日
最近、「学び」という言葉に違和感を感じている。
これはフェイスブックで連発される「学び」という言葉が
軽薄で、破廉恥な気がするからだ。
なんで、講座やセミナーに参加しただけで「学びました」と言えるのか。
どうして講演内容や本の中身を克明にアップしたら
「すごい学びですね」
と、言うのだろうか。
なぜ、子ども達や現場での実践を通さないのに、「学んだ」と確信が持てるのか。
そういういらだちを持ってしまう。
そういう人は、理屈だけ達者になるので、
目も当てられないくらい「裸の女王様」になる。
「すばらしいですね」
「すごいです」
「立派です」
というSNS特有の励まし、良い言葉がけのシャワーに酔ってしまう。
何もできていなくても、何かを成し遂げている感に浸ってしまう。
SNSでは、
「君のやっていることには、何の価値もない。」
とは、まず言わない。
そういうものだ。
本来、学んだことは、教室でこそ実感できるものだ。
織田裕二じゃないが、
「教育は、現場でおこなわれているんだ!」
と、思ってしまうんだよね。
「学び」という言葉を安易に使いすぎていたなあと反省しました。
「ぜひ、学ばせて下さい。」とよく言われるし、自分も言っていました。
ありがとうございます。