◆ 帰国子女との出会い
Posted By taga on 2011年11月14日
「ひとりひとりの子どもをたいせつにする授業づくり」講演
その5
◆ 帰国子女との出会い
ひとりひとりの子どもを大切にするというのは、
僕が新任の時に、子どもたちから教わったことです。
僕は、新卒で神戸大学の附属小学校に勤めました。
新任のつとまるような学校ではありません。しんどかったです。
中でも、帰国子女学級の担任というのが、大変でした。
初めて子どもたちを受け持つのに、一人一人学力が全く違うのです。
スタートはわずか三人で、途中入学が随時あって、最後は八人でした。
行っていた国は、カナダ、アメリカ、カタール、ユーゴスラビア、香港、チェコスロバキアなどです。
国によってカリキュラムが違います。
四年生で九九を全く知らない子どもがいました。
漢字のレベルが、二年生のレベルの子どももいました。
学力差だけではありません。言葉が全く違うのです。
授業をしていて、「ていねいに書きなさい。」と僕が言ったとき、突然、子どもたちから
「ていねいって、なあに。」
と言われました。愕然としました。四年生ですよ。
ていねいという言葉が分からないと言われたら、どうしますか。
言葉で説明しても、その言葉がまた分からない子どもたちでした。
そのときは、鯉のぼりの絵をていねいにかいて説明しました。
国によって日本語の概念が変わるということなんて、考えたことあまりないでしょう。
帰国子女たちは、それぞれの生活体験にもとづいて言葉を理解しようとします。
カナダから帰ってきた子は、滝に打たれるというのを聞いて、
「死んじゃうよ。」
と言いました。ナイアガラの瀑布しかしらないのです。
香港から帰ってきた子どもは、雪が降り出したのを見て、
「雪って、こんなふうにふるの?知らなかった。」
と言いました。絵本などで雪を見ていて、どばっと白いかたまりが降ってくるのだと思っていたそうです。
こんなふうに、ひとりひとりの子どもが自分の言葉を分かっているのだろうか、
この言葉についてどんなことを考えるんだろうか、
ということを常に考えながら授業をしなければなりませんでした。
でも、考えてみれば、たまたま帰国子女という特殊な子どもたちだからそのことがはっきりと分かっていただけで、今、我々の目の前に座っている子どもたちが全員同じ言葉を理解しているのかというと、分からないでしょう。
きっと、分からないままに座っている子どもだって、いるのだと思います。
帰国子女が出発点だった僕は、30年間、いつもそう思って授業をしてきました。
そのために、子どもたちひとりひとりが自分が分からないということを素直につぶやけるクラス、
先生に「今の言葉、分からないよ。」と表情や言葉で伝えられるクラス作りをしてきました。
今、僕が、ここでひとりひとりを大切にするにはどうしたら良いかというようなテーマで話ができるのは、
このとき、子どもたちに教えてもらったからだと言えます。
全部できているなんて、思っていませんよ。
でも、そうありたいと努力しつづけているということです。
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