教科書を使った道徳

Posted By on 2018年5月31日

道徳が教科化されて
とりあえずは教科書を使って授業をすることが中心だ。
僕も6月、7月と道徳の授業をさせていただくが
教科書をどう使うかという授業を示す。

教科書も中途半端だけど
指導書はもっとひどい。
例えば、「感動、畏敬の念」という項目に対しての
「美しいもの、気高いもの」がテーマの授業で
最初の発問として示されているのが
美しい花や自然の写真を見せて
「花や植物などの自然を見ると、どのようなことを感じますか?」
ということ。
これから、人の心の美しさや気高さにつなげていくというのだ。

花を美しいと思うことと人間としての美しさは概念が全く違う。

このように、そのままやるとおかしなことになったり
次につながらなくなったりするものが多い。
教科書批判をしているのではなく、
そのまま使うことが難しいと言いたいのだ。
教科書自体は縛りが大きくて、隔靴掻痒になりやすい。
それは教科書の宿命だ。
教科書は使うけど、指導書の通りにはしないという考え方が必要だ。

足りない部分を授業の工夫でどうしていくかということだ。

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