学習者主体と授業者主体

Posted By on 2017年3月19日

学習者主体論議は、何度も繰り返して出ては消えしている。
授業者主体と、いつも対立した概念として討論される。
ずっと繰り返しているんだ。

アメリカのホームースクーリング運動の主張者として
ジョン・ホルトの『学習の戦略』と『教室の戦略』が日本で出版されたのは
1987年。
そのときには、もうジョン・ホルト自身は鬼籍に入っていた。
その前から、アメリカではフリースクール運動が盛んになっていった。
そこには、アメリカの地方において
「読み書きがやっとできる教師たちが子どもたちを相手に悪銭苦闘していた・・・」
という状況が背景としてある。
学習者主体を突き詰めていけば、
フリースクールやホームスクーリングという考え方に近づく面がある。

僕はジョン・ホルトから学んだことはたくさんあるが、
結局は「愛」なきところに教育はないということが残っている。

学習者主体の裏側には
「どんな教師でもできる」という側面がある。
そういうことではなくて、
授業者がレベルアップすることと学習者視点で授業を行うこととは、
セットで考えられるべきだ。
その二つを対立軸で考えるべきではない。

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