研究授業は、いろいろなものを先生に残す

Posted By on 2017年2月12日

「研究授業に失敗はないんだよ。」
と言い続けている。
もちろん、うまくいったかどうかという思いはある。
しかし、研究授業に必要なのは提案性であって
提案されていることに関連して
実際の授業を題材としてみんなで考えていくのである。

金曜日は吹田の小学校で二年目の先生の研究授業。
このところ、僕の提唱している研究会の在り方でやらせていただいた。
それについては、後日、語る。
まずは、授業。
がちがちに緊張して硬い先生に対して、
なんとかしたいという子どもたちの思いがあふれていた。
僕は、教師に関してはそれだけで十分なんだよね、ほんとは。

さて、30人ちょっとの子どもたちで
3人は十分に書ききれなかったが
残りはきちんと書くことができていた。
目標は、「様子を表す言い方を使って、文章を書くことができる」だった。
目標達成だと考えていい。
「全員じゃない」と思われる方もいらっしゃるだろう。
僕は、
「3人くらいがそのときに書けなくても、
どぅってことないよ。」
って言う。
一人も見捨てないとか、全員でないと意味がないという考え方もある。
僕は、教師は神様ではないのだから
全員を目指すけれども、できないこともあると思っている。
達成できなかった子たちのことをちゃんと知っていて、他のことで輝かせたり、
フォローしたりするのは、当たり前だ。

目標にそれだけ達成したのだから、授業としては十分だ。
しかし、彼女は悔しそうにしていた。
子どもたちの思いを十分に引き出せなかった自分を感じていたからだ。
「悔しいって、思っているでしょ。
大事なことだね。でも、技術が足りないんだから、恥じることではない。
勉強していけばいい。
その思いは大切にして、これからやっていくんだよ。」
「絶対に手を挙げて発表しないと思っていた子どもたちが、してくれました。
それはうれしいんですが、もう少しなんとかしてあげられなかったかなあと思って。」
「子どもたちがあなたを見て、なんとかしたいと思っていたんだよ。
明日、『ありがとう』って言ったらいいんだよ。」

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