『女性教師だからこその教育がある』
Posted By taga on 2016年4月29日
いよいよ解禁になったので、
待望の女性教師論の表紙を示す。
この本は、父性原理だけではなかなかうまくいかなくなった現場で
必要な視点を示せたと思っている。
僕らは父性原理を背景にして教育してきた。
そして、それがだんだんと通じなくなってきたと実感している。
宇野さんと藤木さんという
それぞれ立場の違う女性教師に焦点を絞って書いてもらった。
この本の主役は僕ではない。
第1章から
・女性のハンディを男性教師はどうとらえているか
前任校でのことです。あるとき、つわりが激しくて早退した女性教師がいました。
その同学年で運動会の練習を任された先生は、こう言いました。
「仕事やる気がないんとちがうか、つわりぐらいで休んで。」
それを聞いてうなずく男性教師たちは何人かいたのです。うちの家内がそれを聞いて
「男にはあの辛さは絶対にわからへん。どれだけきついと思ってるの。」
と、激怒しました。
女性には女性であるがゆえのハンディが確かにあります。
そして、そのことを男目線では、「やる気がない」とか「根性が足りない」というようなくだらない判定を下すのです。
山登りの遠足で
「女性はトイレがないから、大変なんです。」
と、ある女の先生が言ったら、
「仕事やろ!あまえるな!」
と怒鳴りつけた校長がいましたが、本来はパワーハラスメントですよね。
でも、どこか学校という所に元々そういう空気があって、
「だから女の先生はダメだ」的な意識の男性教師はまだまだいるのです。
研究会を長年やっていると、実践家として注目していた先生が妊娠して出産、
それを契機に子育て中心になり、研究が続けられなくなるという例をたくさん見てきました。
もちろん、育休などは男女の差別はないのですが、実際にそれを活用する教師は北海道の石川晋さん以外には、ほとんど見たことがありません。
子育てをしながら仕事に復帰して優れた業績をあげる方はたくさんいらっしゃいますが、みなさん、男よりも倍の努力をしておられました。
女性としてのハンディがあることは間違いありません。
妊娠、出産というのは、女性にしかできない尊い営みなのですが、学校現場ではこれまで、ハンディになってきました。
若い先生が結婚すると、
「今年はこどもをつくる予定がありますか?」
と、管理職に聞かれます。男の先生には、まずたずねません。学年配当の上で配慮しないといけないから仕方ないのですが、
そのことをして、女性教師の立場を低いものととらえるのは、問題ありですね。
ともかく、男性教師には女性教師のハンディについての理解は足りません。
ただ、今の若い先生方はしだいにそこにも配慮して仕事をするようになってきています。
例えば、結婚して子どもができたら、子育ての仕事を役割分担して、対等な仕事のあり方を模索していこうとする共働き夫婦は増えてきているのです。
初めて辞令をいただいき、赴任先へこれから伺う旨の電話をかけました。
そのときの第一声忘れられません。受話器をふさがれていなかったからでしょう。
「ええっ、女の子ですか。男性を希望していたのに。」
(そんなん、私が悪いのと違うやん。)
「まあ、とりあえず、今から来てください。」
いわゆる教育困難校。力で押さえようとしていたから、男性教員が欲しかったのかと。
今でもそういう神話みたいなのがまかり通っています。
現場はそういうことが多いですね。
子どもたちに言っていることと矛盾しています。