教室の「あの子」を語る

Posted By on 2016年2月23日

昨日は青山新吾さんに三宮まで来て頂いて
じっくりと呑んで語る。
4月から施行される法律について、
現場での自覚がないという話になった。

障碍のある子ども、【発達障碍も同じ】への「合理的な配慮」がなければ、
おそらく訴訟という事案が出てくるだろうとも。
それは、当たり前のことを当たり前にしろということであって
それほど生産的な話ではない。

「びしっと怒鳴りつけて静かにさせろ」
というような非合理的なことが許されなくなるだけ。
みんな罰則がついた法律だとわかっているのかなあ。
障碍を持つ子どもの保護者は知ってるよ。

合理的な配慮は、当たり前のこと。
それが現場ではまだ、なかなか染み渡っていない。

でも、法律が何かを解決するわけではない。
暴れる子どもに対して、萎縮したのでは、教育は滞る。
どうしたらいいのかという「合理的なてだて」が必要になる。
インクルーシブ教育というのは、視野を広げた考え方で
障碍のある子どもたちも同じクラスに入れるという発想ではなく
みんなゼロベースでお互いの幸せを考えようということではないか。

僕が「智恵を出し合おう」というのは、そういうことだ。
本気で考えなくてはならない時が来ているということだ。

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