掌上の種

Posted By on 2011年8月22日

萩原朔太郎の詩、詳しく知りたいとの声があったので

70年前に亡くなられた方だから、

著作権はないと思うから、全文を載せる。

 

「掌上の種」

われは手のうへに土を盛り、
土のうへに種をまく、
いま白きじょうろもて土に水をそそぎしに、
水はせんせんとふりそそぎ、
土のつめたさはたなごころの上にぞしむ。
ああ、とほく五月の窓をおしひらきて、
われは手を日光のほとりにさしのべしが、
さわやかなる風景の中にしあれば、
皮膚はかぐはしくぬくもりきたり、
手のうへの種はいとほしげにも呼吸づけり

 

たなごころとは、手のひらであるが、そこに土をしいて種を蒔くということは

本当に自分の手の中で慈しむということだ。

「白きじょぅろ」もいい。

「白」という言葉が輝く。

水はどばっとかけるのではなく、「せんせんと」ふりそそぐのだ。

 

そして、たなごころ上のの土の中の種、つまり子どもたちは

ぬくもりをもって

「いとほしく」も息づくのだ。

 

子どもを育てることの基本があると思っていた。

文芸研の研究をしていたときに、西郷武彦さんの本から学んだこと。

 

 

この詩を教室の後ろの壁の上の方に貼っていた時期がある。

子どもたちと暮らしていて腹が立ったり教育的感覚が足りなくなったりしたときに、

その詩を見ることにしていた。

10年くらい、続けたかな。

 

こんな気持ちで子どもを育てないと・・・

そんな気持ちになって、落ち着いた。

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