教科書は違っている

Posted By on 2013年10月30日

追手門学院小学校と西宮市の学校の教科書は、東京書籍である。

僕はずっと光村の教科書だったから、

とても新鮮な気持ちで教材研究できる。

 

五年生の「大造じいさんとガン」で、

おどろくことがあった。

東京書籍の場合、光村本にある「序文」が書いていないことだ。

 

これは、すごいことで、

光村の序文によると、

「大造じいさんという、七十を越えても元気なりょうしから聞いた35、6年前の話」

なのである。

つまり、本文で「じいさんが」「じいさんは」と出てくる大造じいさんは

35、6歳なのであり、

壮年の現役ばりばりのりょうしなのである。

「じいさん」は呼称であって、おじいさんのことではないのである。

 

しかし、序文なしで読めば、ふつうにおじいさんががんばっている話になってしまう。

しかも、東京書籍の挿絵では、大造じいさんは全て後ろ姿で表現されている。

 

文章を読むという主旨からすれば、

序文がなければそのまま読むしかないのだけれど、

「相当な年寄りなのに、がんばって努力している」話と

「元気で壮健なりょうしが雁とやり合う」話とでは、

あまりにも違いすぎないだろうか。

 

同じ文章を読んで、それでいいのかなと、思う。

 

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Comments

3 Responses to “教科書は違っている”

  1. sunami より:

    それはびっくりですね!
    私の学校では東京書籍を採用しており、序文なしで教えていました。
    今、見本で置いてある光村を見てさらにびっくりしています。かなり長い序文ですね。
    挿絵まで違った雰囲気に見えてきました。
    たしかに、これまで教えながら、年を取っている割にはまだまだ狩りへの意欲(欲)があるなあ、年からすると「海のいのち」みたいにおだやかに狩りをしてもいいのに、と思っていました。
    ふと思うのですが、やはり、教える際に年齢は大事になってくるのでしょうか。
    すみません、いつも質問する癖がついてしまい・・・自分でも考えてみたいと思います。

  2. taga より:

    年齢は大切です。
    「ひとつの花」の書毒の感想で、
    「ゆみ子は、お父さんのおにぎりまで食べて、わか゜ままだ」
    ということが出てきます。
    でも、ゆみ子の年齢を考えたら
    まだそんなことが考えられない頃だと分かります。

  3. sunami より:

    そうですね。年齢を理解することで、読み取るべき内容も変わってくることがあるのですね。
    ありがとうございました。