極論の議論は不毛になりやすい

Posted By on 2013年5月28日

乙武さんがレストランともめた件が、

ツイッターなどで大騒ぎになっている。

 

有名人が名前をあげて責めることの是非だとか。

障碍者の権利の問題だとか。

 

こういう話になると、

多くの中庸の人たちが口をつぐむ。

片側によった人たちの意見ばかりになってしまう。

 

例えば

「障碍者の人権を言うなら、ベッド車でしか移動できない人もレストランに入れろというのか」

だとか、

「障碍者であることをいちいちレストランにことわらなくてはならないのは、人権侵害だ」

とか。

 

極端なところでばかりの話になってしまう。

 

そうすると、偏らない多くの人たちの思考が、停止してしまう。

 

僕は、一声言葉を出したり、答えたりすることを人間の基本に置きたい。

「いいですか」--「どうぞ」

「かわりましょう」--「ありがとうございます」

「お手伝いしましょうか」--「いいえ、お気持ちだけ」

障碍のある人に御礼を言わせるということではなくて、

どんな人たちの間でも、

こういう言葉の交わし方があるのではないだろうか。

 

 

 

 

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Comments

2 Responses to “極論の議論は不毛になりやすい”

  1. 山中陽子 より:

    「階段の下に来ています。食事をしたいのですが、車いすをあげるのを手伝っていただけませんか?」
    こういわれれば、飲食店なら下まで行って、車いすを上げるのを手伝います。いそがしくても、普通。およそサービス業を名乗っているならお客様に対しては、なるべく親切であろうと、ましてや今からそちらで食事をしたいという方に手伝えません、とは言わないと思います。
    私はインド料理店でパートをしたことがあります。ランチタイムはすごい人で、行列ができるようなこともありました。そういうときでも、介助が必要なお客様があれば、介助しました。もちろんほかのお客様に気を使いつつです。なんだか立て込んでるな、と覗いてお帰りになる方もいらっしゃったと思いますが、それは今日はご縁がなかったとあきらめました(介助のほうがさっと終わって、入っていただけるようなら、帰りかけた方におまたせいたしました、と声をかけたりできますし)。食事がしたければお客様は別の日にまた帰ってきてくださいます。それより目の前の方を大切にすることが大切なのではないかと思うからです。また、食事中の方も、お店がそういう助けのいるお客様に冷たくするより、親切にしているのを見聞きする方がおいしく安心して食べられると思うからです。
    具体的な状況をよく知らないので、当該店舗に何か言うつもりはありませんが、まっとうなお店だったら、何かの行き違いで不幸なことだったと思いますし、もし本当に手助けできないと思われたなら判断ミスだなと思います。
    長々と書きましたが、具体的な声を想定して考えていらっしゃる多賀さんの姿勢に共感します。普通に考えたらこんな議論になるようなことではなかったのではと思います。

  2. taga より:

    山中さん、心あるコメント、ありかとうございました。
    そうなんです。普通に考えたらすむようなことなんですよ。
    「親切にしているのを見聞きする方がおいしく安心して食べられる」
    というのは、大事なことなんですよね。