街を失うということ
Posted By taga on 2011年8月8日
阪神大震災から5日後、初めて六甲山を越えて神戸の中心部に入った。
新神戸駅まで、地下鉄が通ったから。
そこから学校まで、2時間ほど、歩いていった。
街が変わっていた。
ぼくの目に入ってくるはずの当たり前の街が、そこになかった。
歩きながら、ぽろぽろと涙があふれた。
「ぼくの街が、ぼくの大好きな街が、ぼくと共に生きてきた街が・・・。」
東北の方々がふるさとを語るのを見たとき、そのときのことを思い出してしまう。
人の命は重い。
人が亡くなること以上のものは、ない。命がベストだ。
それでも、物を失う哀しみというものは、ある。
自分の生きてきた歴史を否定されるような気持ちになる。
そういう思いで歩いていたら、教え子が道ばたに座っていた。
「先生、無事やったん。」
「おまえのところの方が大変やからなあ、僕らのところは大丈夫だ。」
彼女の家は、ぺしゃんこになっていた。
「先生、私、この中に埋まってたんよ。」
「そうか。お母さん達は無事なのか。」
「うん。今から片づけ。有子が手伝いに来てくれてる。」
「がんばれよ。」
命が助かれば、なんとかなる。
彼女は今は、ちゃんと仕事をしているそうだ。
それでも、家を無くすことは、きつい。
高揚感のあるときや生活に必死のときは、あんまり考えないが、
ふとしたときに、心を襲う喪失感がある。
みちのくの方々の心を思う。
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