「いじめ」について話したこと その1
Posted By taga on 2012年8月31日
伊丹の小学校で、
特に力を入れて話させていただいたのは、
次のこと。
「いじめに対しての、対策が問われる」
◆ さて、今、いじめの問題が大きく取り上げられています。
オリンピックで少し下火になりましたが、また、再びいじめの問題がマスコミをにぎわし始めましたね。
ぼくがやっている親塾で、先日、
「もしも、みなさんのお子さんが、今、家に帰ってきたときに『・・・さんにいじめられた。』と言ったら、どうなさいますか。」
と六十五人の方にたずねました。
みなさん、ぴたりと止まってしまいましたよ。
いま、親は、不安です。
思春期の子どもを持つ親は、かなりの不安です。
二学期には、そういう気持ちで親は子どもを学校へ送り出すのですよ。
いじめの問題に対して、学校は、教師は、心の準備をしておかねばならないのです。
少し、そういう話をさせてください。
● 教師の資質が問われています。
教師次第でいじめは分かりますと、断定する方がマスコミのコメンテーターに、いらっしゃいます。
いじめに関しては、本音を言うと、評論家やマスコミの言うようには、うまくいかないと、僕は思っています。
そんなに簡単には、いじめは見つかるものではありません。
子どもたちが言わないからです。
親や先生には、よほどのことがないと、言わないからです。
正直、ぼくは、よく子どもから入ってくる方の教師だとは思います。
それでも、なかなか見つからないものでした。
それでも、教師はいじめの問題に立ち向かっていかなければなりません。
いじめの問題で、必ずと言っていいほど出てくるのが、
「あそびでやった。」
「ふざけているつもりだった」
という加害者の言葉と、いじめを受けていた子どもも「笑っていた」という、
周囲(子どもたち、親、教師)からの言葉です。
遊びだった、ただのおふざけだったと主張している加害者たちは、笑うでしょう。
だって、楽しいのですから。
人をおとしめることに、哀しいかな、快感をもっているのですから。
彼等には、自分たちの行為が相手を傷つけていることなど、よく分かっているのです。
自分自身や周囲の大人たちを欺く言葉が、「おふざけ」「あそび」という卑劣な言葉なのだと思っています。
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